ミャンマーでダランと呼ばれている密告者
ミャンマーにはダランと言われている人たちがいる。ダランは普通の人たちと同じ姿で、ヤンゴンにもマンダレーにもどこの町にもいる。
ダランは今のミャンマーで一番嫌われ恐れられている存在だ。彼らは、住民の様子を軍に情報提供したり、軍に対して抵抗運動をしている人を密告したりいている。一部のダランはPDF(People's Defence Force / 国民防衛隊)によって暗殺されている。
ダランになった高校の女性教師
最近、一人の女性がタクシーに乗っているときに銃で暗殺された。独立系メディアの報道によると、彼女は高校の教師で、自分の教え子たちを軍に密告したという。その結果、5人の生徒が逮捕され、他にも逃げている生徒たちがいる。
今のミャンマーで軍に逮捕されれば尋問センターという軍の施設に連れて行かれ、そこで拷問が待っている。未成年でも容赦しない。拷問の結果死に至ることも多い。学校の先生が教え子を軍に密告し、その結果先生が暗殺されるという何とも悲惨な事件だ。
町の乱暴者
ここで、地方のある小さな町のダランの話をしたい。
この町にソーティー(仮名)と呼ばれる男がいた。町の市場で食料品を売っていた彼は軍と繋がりがあり、その軍の力を後ろ盾にいつも若無人に振る舞って、よくトラブルを起こしていた。
ある日、何が原因かはわからないが、ソーティーは近所の男と喧嘩になった。その喧嘩はエスカレートし、ソーティーは刀を持ち出し相手の男に振り下ろした。男の頭をかすめた刃は、男の耳を削ぎ落としてしまい、喧嘩は終わった。
その夜、ソーティーの暴力に怒った住民たちが彼の家の前に集まり、彼に出てくるように迫った。多勢に無勢で怖くなったソーティーは妻と一緒に家の中でじっとしていた。そのうち、業を煮やした住民たちは彼の家に投石を始めたが、ソーティーは家の中でじっとしたままだ。結局、住民たちはそれ以上の行動には出ず、家に帰っていった。
住民たちがソーティーを警察に通報しなかったのは、警察が本来の仕事をしていなかったからだ。クーデター以降、軍の支配下に入った警察は住民からの信頼を失ってしまった。それに、軍と結びつきのあるソーティーには警察も彼に手出しできなかったのだ。
翌朝早く、ソーティーは妻と一緒に車で隣町に向かった。そこには軍の基地があり、軍に助けてもらおうと思ったのだ。
軍が町にやってきた
ソーティーが軍の基地に向かったということを知った周りの住民は怖くなった。特に夜中に石を投げた人たちは自分たちが捕まるのではと思い、町から遠くへ逃げていった。
その日の午後、ソーティーが兵士たちと一緒に町に戻ってきた。投石した住民たちは既に逃げて家には誰もいなかったのだが、なぜか近隣の4人が軍に捕まった。この4人は昨夜の騒ぎには全然関係してなかったのに捕まったのだ。ましてや、政治活動も何もやってなかったし、町で以前行われていたクーデターに反対するデモにも彼らは参加してなかった。
翌日、4人のうち2人が傷だらけの遺体となって帰ってきた。2人のうち1人は歯を全部失っていた。拷問で歯を抜かれてしまったのだ。残りの2人はどうなったか未だにわからない。家族が軍に連絡しても何も教えてくれないからだ。捕まってからもう半年になる。
なぜ4人が捕まったのか今もはっきりしない。町で噂されているのは、4人はソーティーと前から仲が悪かったのが原因だろうという話だ。ただ単に嫌いだという理由だけで軍に密告したというのだ。
ソーティー本人の口から聞いたわけではないので、真実かどうかはわからない。しかし、これに似たような話はよく聞く。ビジネス上の妬みで軍に密告されたと言っている人もいる。
密告したソーティーだが、4人が捕まった日以来、町には帰っていない。夫婦は軍の基地で生活しているという話だ。
ダランはどこにでもいる
私の肌感覚では、一般のミャンマー人のうち9割以上は軍を忌み嫌っていると感じている。しかし、そんな状況でも軍に密告するダランはなくならない。ソーティーのように、「虎の威」ならぬ「軍の威」を借るためにダランになる人がいる。また、家族や親族が軍の将校クラスの場合は多くの特権や経済利益が入る。それを守りたいがためにダランになる人もいる。冒頭の女性教師も娘婿が陸軍将校で経済的に裕福だったという。他にもビジネス上の利権でダランになる人もいる。
私が住んでいる地区にもダランではないかと噂されている人がいる。今のミャンマー、どこにダランがいるかわからない。