序 章・恋 慕◆1 君が長い髪をかきあげる仕種に 僕は女を感じた 小春日和の真昼の匂いを漂わせ 春を待ちきれずに飛び出してきた蝶よ 君が髪を切ったのは何故だったのか 君が貸してくれた鉛筆を滑らせ 君の体温を僕は抱き締めていた そしてポケットに忍ばせた 君の机にイニシャルの落書きを見つけ 僕のと同じだと知ったとき 僕は優しくなった 君からの葉書が舞い込んだ夏の日 『書中お見舞い申し上げます』の文字に 僕の囚われの日々が始まった 僕の卒業アルバムに寄せ書きを拒ん
章乃の病状等について 私の身内や私自身の経験を踏まえてこしらえた病状です。もちろん全ての方が章乃と同じ運命を辿る訳ではありません。今ではずっと医学も進歩していますし、かなりの確率で改善するものと思われます。章乃は稀な不運が重なったのです。ですから、死因もぼかしてあります。もし、読まれて不快な気持ちに襲われたなら、ここにお詫び申し上げます。 それから、実名で登場させた人物が一人だけいます。(読み方は違いますが) その人は若くしてこの世を去られました。せめて小説の中だけ
あなたにとどけ 愛。命を授けるもの。決して奪うものであってはならない。 思いは永遠に生き続ける。 「あなたの夢が必ずや叶いますように!」 永遠に、ぼくの心を…… 立花健祐 人って存在するだけで、誰かを幸福にできるものだと信じてる。 「生きて!」 田代章乃
『もう逢えぬ君に』 君が長い髪をかきあげる仕種に 僕は女を感じた 小春日和の真昼の匂いを漂わせ 春を待ちきれずに飛び出してきた蝶よ 君が髪を切ったのは何故だったのか 君が貸してくれた鉛筆を滑らせ 君の体温を僕は抱き締めていた そしてポケットに忍ばせた 君の机にイニシャルの落書きを見つけ 僕のと同じだと知ったとき 僕は優しくなった 君からの葉書が舞い込んだ夏の日 『暑中お見舞い申し上げます』の文字に 僕の囚われの日々が始まった 僕の卒業アルバムに寄せ書きを拒んだ君
終 章・晩 秋◆1 健祐は早めの夕食を終え、しばらくダイニングテーブルの上に両肘を突き、台所で洗い物に取りかかる妻に視線を向けていた。 すると、テーブルの下をくぐり抜け、長男の健一が膝によじ登って来た。来月、六歳の誕生日を迎える息子を抱き寄せ、膝に座らせる。 食器を拭く手伝いをしていた長女の愛が、それを見るなり皿を置き、一目散に健祐の背後から抱きついて来た。今年小学校に上がったばかりの彼女の重みを体いっぱいに受け止めた。 「あら、お父さん、大モテね」 妻は洗い物
第六章・再 会◆1 健祐は朝からそわそわしていた。 夕べは早めに床に就いたものの、なかなか寝つくことができず、朝方うとうとしただけだった。五時過ぎには寝床から枕元の腕時計と睨めっこを決め込んでいた。六時にはロビーに出て、まだ明け初めぬうちから外の景色を眺めて長い朝をやり過ごした。 今、ようやく窓の外は薄らと白み始めている。 「あまり早いのも失礼だしな」 忙しなく何度も腕時計を確認しながら、時が過ぎるのを待った。 しばらくすると、外はすっかり明るくなり、今朝は雲
第五章・同窓会◆1 頭上には相変わらず、鉛色の雲が垂れ込めていた。 文と共に同窓会会場の小学校を目指す。文はゆったりとした足取りであとをついて来る。さっきより少しばかり上流域の橋を渡り、たもとでふと健祐は振り返った。文の背後に、裾野まで紅葉した山が鮮やかに浮かび上がっている。山を見上げながら、文が追いつくのを待つ。 文は傍まで来ると、健祐の視線の方向を見た。 「きれい!」 感嘆の声を上げ、山に見とれる文と肩を並べてしばらく景色を楽しんだ。 我が心も、今、あの山
第四章・予 感◆1 二人は仏壇に線香をあげると、別れを惜しむ老婆に挨拶をして食堂をあとにした。食堂の角を右に折れ、緩やかな下り坂になった道を辿れば、二十分程で健祐の生まれ育った街へ出る。ひんやりとした風が、坂の下手から右手斜面の樹々の枝を揺らしながら頬を掠めて吹いた。 「少し寒くなったみたい」 文はコートのボタンを留めると、襟を立てる。「先輩、いい眺めね」 健祐は文の後ろから左前方に広がる景色に見入っていた。景色を眺めながら頷き、文を見ると、健祐の視線に合わせて同
第三章・旅 路◆1 健祐はいつもより早く帰宅すると、スーツも脱がず、そのままベッドにへたり込んだ。 秋だというのに今日はやけに暖かな一日だった。雨粒が窓を叩く音に、仰向けのまま窓外を覗く。厚い雲が垂れ込めている。汗ばんだワイシャツが首を締めつけるのでネクタイを緩めた。 しばらく何もかも忘れたかった。なのに、先週の屋台での一件が自然と蘇ってくる。 「もう嫁に行ってるかも」 原田の言葉を遮って、自ら言い聞かせるように放った言葉が己の胸をえぐる。 ──疲れた。 こ
第二章・足 跡◆1 文は窓際の席で手紙に視線を落としている。日差しが文の手元を照らす。車窓からは雲ひとつない真っ青な空が見えるだけだ。 早朝、呼鈴が鳴り、玄関のドアを開けると、いつものスーツ姿で文が立っていた。 「先輩、早く準備して」 「えっ、どこの現場だっけ……?」 起き抜けの覚め切らぬ頭を巡らせてみる。土日、休日出勤は当たり前の業界だが、いくら考えてもはっきりとは思い出せない。クライアントとの約束はまだ先のはずだ。健祐は文に首を傾げて見せる。 「寝ぼけてないで
第一章・写 真◆1 立花健祐は、誰もいなくなった会議室の椅子に座り、背広の内ポケットから手帳を取り出した。今後のスケジュールを確認しようと開いたとき、一枚のスナップ写真が床に舞う。それを拾い上げ、しばらく見つめていた。 「あらっ、可愛らしい子ね。姪御さんかしら?」 背後から三枝文の快活な声が飛び込んできた。 健祐は一瞬ギクリとして、あたふたと写真を手帳に挟み直すと、背広の内ポケットに素早く戻した。 「いや、僕には……」 身内など誰もいないよ、と言いかけたが、相手
闇への招待状 ひっそりと、闇の中に迷い込んでみませんか? あなたにも経験あるでしょう? 足掻いても足掻いても抜け出せぬ闇…… それは、あなたへの報いなのかもしれません。 善行には光、悪行には闇の報いが訪れる。 あなたはどちらを選択しますか? それは、あなたの心次第! 今宵、異次元の扉が開かれ、ソノモノは目覚めるのです。 どうか、“無間地獄”にだけは落ちませんように! 1 魔手がシートにのびる。爪がガリガリと音を立てる。急にハンドルが軽くなり、操作性を失った
恋ひ初めの街から この先の物語を綴るのはあなた自身 主人公はあなたです さあ、勇気を出して、一歩を踏み出しましょう その先に、あなたにしか紡ぐことができない新たな物語が待っているはず あなただけの素敵な未来が、 永遠に……
恋の余韻 初恋は突然舞い降りた。 ツバメが夏を求めて飛来するように、初めての旅立ちの季節を迎えた二人の少女の胸にときめきをもたらした。 だが、淡い蜂蜜色の盛りに仄かな甘酸っぱい余韻だけを置き土産に初恋は飛び去ったのである。 第一章・出会い ◆1 榎本裕里子の家は眺望の利く高台に建つ一軒家で、祖父母の代からの純日本家屋の木造二階建ての佇まいは、頑なに伝統を守り続けんと腕組みをして胡坐をかき、周囲の西洋風のモダンな家々ににらみを利かしている老人のように映る。
第一章・七夕祭り 1 七夕祭りの一週間は心が躍る。 七月七日のクライマックスには、町内の十六歳から二十五歳までの男女を対象に自薦、他薦を問わず当年の彦星と織姫の候補者を募り、選出された二人をそれぞれの輿に乗せ、輿を囲んだ稚児行列ともども天の川に見立てた神社の参道を、年に一度の再会の場所と設定された本殿まで練り歩き、そこで初めて二人を引き合わせるという趣向が三十年来の慣わしになっており、中にはこれがきっかけでめでたく結ばれた彦星と織姫もいる。結果的に若い男女の出逢い
1 嫌悪の街 こんな街は嫌いだ。 当時の面影はない。バス停の位置だけだ。確かにあの日以来ここに存在し続けている事実しかない。 辺りを見渡してみる。 あのとき、バス同士が辛うじて擦れ違うだけの幅しかなかった砂利道は、反対側の小川を越えて拡張され、アスファルトで舗装された。暗渠化された小川は、道路下の暗闇に閉ざされ、命の息吹は聞こえてはこない。古い木造の民家群と田畑のみの風景は全て冷たい人工の石の下に埋もれてしまった。 天を仰ぐと、ビル影が背後から迫り、息苦しい。