私が、ムラツムギを始めた理由。
こんにちは。はるおです。
私はいま、地域に対する、活性化だけではないアプローチを考えるNPOムラツムギの活動をしています。
この前ふと、初めて「地域にも緩和ケアが必要だ」と感じたときのエピソードを書いたことなかったな〜と思ったので、今回はそれを書きたいと思います。
2017年、京都府綾部市で私がコミュニティーナースと言う活動をしていた時のことです。
当時、綾部市では、水源の里の取り組みと言うものをやっていました。(現在も続けている地区もあります)
まずは地域を知ることが必要だと考え、次の人の取り組みについての地元説明会を自治体職員さんがする場へ同行をしていました。
綾部市では当時、水源の里の取り組みを10年やってきていて、「これまでの10年、これからの10年」と言うテーマをもとに、地元の方と対話をしていた頃でした。自治体職員の方がこれまでの事を簡単に振り返り、今後どうしていきたいかを地元の方に伺ったタイミングで、ある方が「あのなぁ…」と、少し困った表情でこう言いました。
「10年前60歳だったものが70歳になって、70歳だったものは80歳になったんや。若い人は入ってこない。みんなどんどん高齢化する。70歳だったものが80歳になって80歳になったもんが90歳になるんや。そんな状況で、あと10年がんばらなあかんのかな」
と。
その一言を聞いて、自治体の職員さんは言葉に詰まっていました。
高齢化や人口減少が進む集落が多い中で、その状況をなんとか打開しようと様々な工夫を凝らして、地域づくりに専念されている方もたくさんいらっしゃいます。それは素晴らしいことだし、評価されるべきことだと思います。ただ、あの時の方のように、まだ頑張らないといけないのか?頑張ることしか選択肢がないのか?と言う気持ちになっている人は、少なくないんじゃないか、とも思ったんです。
そして、その時、
『人口増や観光などで、地域を盛り上げるだけでなく、その土地に住む住民の、住民による、住民のための地域づくりをしてもいいんじゃないか(リンカーンみたいですけど)』と思ったのです。
また、その目的がときには、人口減少を前提に見据えて、将来的に住民はいなくなった未来も視野に入れたもの、ソフトランディングをいかにしてみんなが納得して迎えられるのかと言うことになってもいいんじゃないかと思ったんです。
そしてこれは人間に対する"緩和ケア"に似ていると思いました。
私は昔から、大学の卒論で終末期ケアについて論文を書いたり、新卒では療養型病院(その病院で息を引き取るまで入院するようなところ)で働くなど、終末期医療に関わりたいと思っていました。
きっかけは、大学4年生の時の看護学実習で受け持ちの患者さんが亡くなったことでした。それまでの私は、9歳の時に祖父が亡くなって以来、身近に死を感じることがありませんでした。基本的に、人間が大好きな私としては、死はとても怖いものでした。二度と会うことができないと言う大きな大きな喪失体験を前に私は、患者さんには、そのご家族には、どう接したらいいのかとすごく不安な日々の中、最期が近いであろうと思われる患者さんのところに毎日実習に行かなければいけないのかと思うと、すごく気が重い実習初日だったのを覚えています。
しかしその実習の受け持ち患者さんは、私の予想に反して、とても穏やかで、朗らかな空気を纏っていました。それはご本人だけでなく、お見舞いに来てくれる家族やご友人たちも一緒でした。
確かに、日々衰えていく患者さんもいました。ただ、その方や周りの皆さんの穏やかな表情の一つ一つから、その衰退していく自分の体を受け入れているように見えました。
ある朝実習に行くと、患者さんの名前が消えていました。急ぎ足で病室に向かうと、エンゼルケア(亡くなった後のケアの事)を終えた患者さんがベッドの上で横たわっていました。毎日のように私と顔を合わせていた家族の方と目が合った瞬間、私は泣いてしまいました。家族の方は、「良かったです」と言いながら泣いていました。私も応えるように頷きました。
人間は必ずいつか命に終わりを迎える。
どうしようもなく、寂しくて悲しい。
その人の代わりはいないから、心に空いた穴は塞がらない。それでも、必ず来るその最期を、あたたかいものにすることはできるんじゃないか、という希望も捨てたくない。
その方の生きてきた時間の最後までのすべてに、その人の存在自体に、一緒に過ごせてよかったよ、ありがとう、と思いを馳せる。その人のことが大好きで大切で、その人のおかげで幸せだったと自覚する。
それが終末期ケアに大事なことだと感じ、終末期看護に携わりたいなと思ったのでした。
そして綾部での経験から、それは人対象だけでなく、地域社会に対しても必要なのではないかと思った。
そんなこんなで、NPO法人ムラツムギのメンバーと出会い、今に至ります。
と、いうわけで。
「集落にも緩和ケアが必要だ」と考え、つぶやき始めてから早7年ほど。当時ビリビリとした感想を抱いた本、撤退の農村計画。その著者、林直樹先生の第2版が出た2024年。
なんと来たる4月21日、林先生と、さらに関係人口でおなじみの田中輝美さん、廃村研究家の浅原昭生さんという豪華メンバーをお迎えして、京都大学国際交流ホールにて『活性化が難しい集落にどう向き合うか?』というカンファレンスイベントをすることになりました。
ぜひ、これを見つけてしまったそこのあなた。
きっとそういうタイミングです。4/21は京都へ、ぜひお越しを!(オンラインもあるよ)https://www.facebook.com/share/p/tJbKK6Kob75E1wKx/?mibextid=K35XfP
ではでは、また。
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