#48 「父の日」に父からの贈り物を手放す
6月22日、時刻は16時38分。こんにちは、はるです。
昨日は「父の日」だったのですね。私が23歳の時に他界したので、すっかり関心が薄れてしまっておりますが、世間を見渡してもどうも「母の日」よりも華やかさがないと感じてしまうのは、きっと私だけじゃないはずです^ ^;
父が生きていたら何をあげるだろう。ハンカチ? 大好物だった芋けんんぴ?(笑)。何もしないでスルーだったかな。
そんな空想を脇に置いて、2020年「父の日」(昨日)、私がとった行動は、「父からもらったものを捨てる」でした。
なんて大それたことを! 親不孝な! なんて思うかもしれませんが、私にとってはずっと引っかかっていたものを断捨離できた、大いなる第一歩なのです。
何を捨てたかというと「レコードプレーヤー」。
高校受験で合格したらミニコンポと一緒に買ってくれる約束していて、そのお祝いにもらったものでした。
誕生日もクリスマスも、プレゼント皆無の父親からの初めてと言っていいほどの贈り物です。
しかーし、当時はレコードからCDへ移り変わる過渡期。「CDはジャケットが小さくてやだー」「歌詞カードがチープ」など友だちとディスりながらも、買うのはCDばかり。
気づくとプレーヤーはあるものの、レコードを1枚も買わないという状態でした(苦笑)。
そもそもレコードプレーヤーも、友人がレコードプレーヤー内蔵のミニコンポを持っていて、「私も欲しい!」となったからで、受験に合格して秋葉原の電気街に行く頃にはすっかりミニコンポは進化していて、レコードプレーヤー内臓のものなど無くなっていたのです。
だから、レコードプレーヤーだけ単体でせしめました。すでにレコードプレーヤーよりも「父親に買わせる」ことが目的になっていたかもしれません。この機会を逃したら「買ってもらう」なんてことは永遠にやってこないと思ったから(実際、そうなったのですけどね)。
で、買ったはいいが使わない。
社会人になり、その後も引越しを繰り返すたびに押入れやクローゼットの隅に押しやられ、日の目を見ることは一度もなし。
一度も電気を通されることなく、レコードプレーヤーとして働く機会さえ与えられず、無事の罪でずっと独房生活を余儀なくされているようなものです。
それでも捨てられなかったのは、「父からもらったもの」という記憶と、処分するのが「面倒」という惰性と、「メルカリとかに出品したら売れるかも」という浅まさでした。
この3つ、人生にいるかな〜〜。
立てかけてしまっていたから、プレーヤーのカバーと本体の接合部が欠けていたり、電源を入れても使えるかどうか謎の状態。下手に出品してクレームがきたらかえって時間と労力を奪われます。
そして、新聞の折り込み広告に「不良品回収無料」のチラシが!
自治体の粗大ゴミに出すと400円かかるところを、こちらは無料。これに乗っかるしかない。渡りに船とはこのことだよね、とばかりに昨日の朝、レコードプレーヤーを手放しました。
「父の日」だったことを知らずにね。
気づけば30年以上、持て余していたレコードプレーヤー。その処遇について、ずっと気持ちの片隅に引っかかっていたものでした。
もったいないと思うかもしれませんが、好きでもない彼氏と惰性で付き合い続けるのは、彼氏にも自分に対しても失礼だし、未来がないのと同じです。
それぞれの道を歩み始める。
レコードプレーヤー、今までありがとう。そして使うことができなくてごめんなさい。
淋しさよりも清々しさが勝るアクションでした。