Maison Margiela Artisanal Collection 2024 創り込まれたヴィジュアルの美しさは勿論のこと、コンセプト共に高クオリティの、良いコレクションでした。 現代社会の過剰さ(自意識)と美意識の衰退、及び行方不明さ。曖昧にせず二項対立で判断を下そうとする横暴さ、無知さ。 それら多くの言葉にされない欠落に対し、痛烈な社会批判性を持っていると感じます。 つまり不穏の蔓延です、精神のせん妄。 細部にまで宿る空間の美しさ、モデルのメイクやウォーキング、指
今朝から雪が柔く地面に落つるので 草臥れた私たちは、緩く進む時を彷徨う 二〇二三年 二月 十日
思い余った牡丹雪はその形を堪えきれず 皮膚の熱にとかされ なめらかな肢体を冷たく滑り落ちる 二〇二三年 二月 十日
夢幻へ舞い踊る粉雪は やがて貴方の眼前に吹き込み 唇に焦らされ そっとあいた口内に甘えながら 舌の上で転がり、遊ぶ 二〇二三年 二月 十日
「貴方と対峙する事は、文学者の哀しみに触れているようです。」と告げられた晩秋。
小林清親 「闇と光」 (太田記念美術館にて) 彼は西洋の油彩、写真を学びそれらを日本の版画に落とし込む事で、自らの作家性を確立した人物。 「彼は伸びやかに跳ねる捉えようも無い光と、沈みゆく闇の枷を外して、描こうと努めた人物。世界に対して己の視点で輪郭を持つもの、持たざるものを描き分け気配、及び予感を描く。それは後に画面を守るものと脅かすものとなって絵はその縁を超え、私たちをひとくちに飲み込もうと勢いづく。すると私たちはその郷愁に手を引かれ、愛しき日々に嘆く。 時に印象派に
まずシテや地謡は、風のざわめきや大地の揺れ、木々のさざめきという大いなる自然を担っていた。鈴の音に神を予感し、扇によって神の意は波及されていく。すると世界の随所に神が姿をみせ始める。 執拗に繰り返される音と謡に幻視を得、ついに私たちの眼前に神が姿を現す。これは神事を介し、神との合一を試みる日本古来の人間の姿である。つまり、私たちは神事を介してしかこの世界と向き合うことができないという、神の存在理由をここにみた。しかし私たちはどう足掻いても人間の域を脱することはできないので、神
先日の「定家」はとても静かで美しい舞台でした。 あの日は台風で土砂降りだったのですが、演目が始まると共に雨も止み、「時雨には偽がなく、因縁は失われず、恐ろしげな夕べ」がその通り眼前に立ち上がってきたのには驚きました...。 今回の里女は煌めくような紅葉の着物を着ていて、紅葉こそ二人の逢瀬の証であり、内親王の眼差しの向こうにはいつも定家が居ることを想わせられました。二人にとって、互いの姿を感じられないことこそが死であり、だからこそ救われない魂であると。互いの命が絡みつき、その呪
死は貴方の前で、無力です。
あらゆる涙を記憶しておかなければならない
「仏にはさくらの花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば」(山家集 上より/西行) 吉野についたその時“踏み入れてしまった”という感覚が私を貫いた。 大いなる自然と見つめ合い、対峙したのです。 桜は人のために美しいのではなく、 神仏ゆえに美しいのだと痛く感じました。 そこでは生きることも、 死ぬことも共に存在していて、 桜がものいう中で私は涙を流していたようで。 あれからひと月、 どうにも吉野の霧が私の目に舞い込んで、 私の視界はいまも翳んで。 ただ在るという それだ
【個展のお知らせ】 この度、ギャラリー懐美館 代官山さんにて個展を開催することが決定しました。会期は1ヶ月後の4/14.15.16.17の4日間となっています。20歳という節目に、いままで心の中に、しんしんと積もらせてきた宿雪のような作品たちを展示いたします。 こんなご時世ですのでご無理のない範囲で、しかし作品を通して触れ合えたらとても幸せです。会期中は常に在廊しておりますので、沢山お話ししましょう。たのしみです。 【詳細】 「月雪春乃個展 -祈り- 」 *会期:2022年
生まれ変わったら紫陽花になりたいの 蝶の食事のような
二つ前と一つ前が似ているのはわざと模倣したからです
ふとした夕立が私を襲う日々だった。 今はまだ、暮れてゆくのが怖い。 魂の家、私はこのことを光にこの一夜を乗り越えようと思う。 私たちは芸術に対し、節度を持たなければあの果実を享受できるのか。 そんな緩い世界を感じる。私の邪悪な蛇は知を誘惑し、私を美に嫁がせる。もうじき瞳を奪われるような孤独を感じている。 触れて爛れる熱は、これからの愛に委ねたい。私はいつも、愛しい人に向けて泣く。胸に微笑を孕ませる、そんな幸福をみつけたい。 少女が暮れていく夢と狂気に、私は今日も
アダムが楽園追放されたのは、禁断の果実を味わったことが要因ではなく、ただ神に対して節度を超えただけなのだ。 二十歳を前に、私は知に生きなければならないと思う。甘く蕩ける盲目に浸っていても、芸術は生み出せない。確固とした冷たさを、私は心の中に溜めている。透明な微笑を日々世間へと、もたらしている。涙をはなむけに。 ともすれば触れただけで爛れるような、あつい熱を胸に秘めている。 私は美しさを取り戻した、寂しさを糧に愛をゆく。 恋は幻影であるが狂気性が好きなのだ。 ああ、