迷惑をかけて生きている
私は人に迷惑を掛けて生きている。家族にも友人にもその他多くの人たちに心配と迷惑をかけて生きている。
中学生の時適応障害と不眠症を発症した。そのまま双極性障害になり、ズルズルと24歳になった。発達障害もあった。今は実家で世話になりながら社会復帰をめざしてアルバイトを始めている。早速動悸と息切れで3日休んだ。神様は私を、優しく暖かい家族の元に下ろす代わりに、生きずらさを付与したらしい。まさに「何やっても上手くいかない」状態である。
お芝居が大好きだ。7年も続けられたことが奇跡だと思う。東京で一人暮らしを5年続けられたのも奇跡だ。常にどこか気を張って、部屋はいつもあしぬ踏み場はなく、ついに首の吊り方に興味を持ち毎日お酒を飲んでは吐きマロリーワイス症候群になって、それが自傷行為なのだと知って続けた東京での生活とお芝居を諦めた。健康な心身だったら一生続けたかった。
暗いことばかり書いているけれど別に遺書では無いし、後々そうなるつもりで書いているわけでもない。ただ、しんどいばかりの人生が少し楽になればと思って、整理したくて書いている。もしこれを読んで同じ状況の人がいて共感してくれたらちょっと嬉しいなぁとは思っている。
障害者手帳を発行しようという話を病院でもバイト先でも言われたし、その方がいいらしいと自分でも納得した。
バイトを休んで鬱々としながらかけた電話相談では、「あなたは思ったより大丈夫だと周りに思われやすいのかもしれない」と言われ、行政の支援を受けることを進められた。役所の書類とか税金の仕組みとか携帯ショップとか、とにかくどういうのが本当に理解できない私は、保健師さんに頼るべきだと思った。自分にはできないことを、誰かに頼んでやってもらうというのは申し訳ない気持ちになるし惨めだけど、どう足掻いても出来ないのでそれがいい。
私は人に迷惑を掛けて生きている。
すこぶる迷惑をかけている。要らぬ手間を増やし本来休みの人を出勤させてきた。迷惑千万、おじゃま虫である。
だからいつだって腰を低く丁寧に人と接するけれど、それでなんとかなるレベルでは無い。人当たりのいいおじゃま虫が爆誕するだけである。
これからも迷惑をかけて生きていくんだと思う。結局自己嫌悪でバイトは長くても1年しか続いたことは無い。今後少しでも病状が良くなって自分との付き合い方も上手くなって、仕事を続けるということができるようになるという希望的観測の上でも、それでも配慮してもらう形になってしまうと思う。
自律神経がイカレているのか、歩くだけで息が切れる。なんの気ないたった一言を擦りまくって希死念慮に苛まれる。急に行動的になってはっちゃけて後で後悔する。時々、眠る前に自分が死ぬ姿を想像する。
それでも、なんとか、私は有難いことに優しく暖かい家族の元に下ろされたので、前向きである。
生きてればいいことがあるって信じたいし、人にはみんないい所があるって信じたい。
ティーンは皆、太宰治の人間失格を読んで共感し「これは自分のことだ」と思うらしい。私の読んだ感想は、「ああ、この人はそんなティーンのピカピカの感受性と柔らかすぎる繊細な心を失わずに大人になっちゃったんだな。だからこんなに哀しいんだな」である。自分がそれに近づいていることも気づいている。
生きてるだけで丸儲けの意味が分かるまで、人に迷惑を掛けて生きていく。