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セルフの世界

こんばんは🌙
春乃です。

今回は「春乃がセルフポートレイトを撮っているところをメタ的な視線で撮影したい。」というご依頼をいただいたので
今一度自分にとってのセルフポートレイトについて考え、言葉にまとめたいな。と思ってnoteに書くことにしました。

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2020年1月


前の記事にも書いたけれど、元々誰に見せるでもなくセルフポートレイトを撮っていた。
インプットが溜まってアウトプットをしたくなった時や
何かから刺激を受けた際、その世界と自分の世界を混ぜて表現をしたくなった時
そして反骨心や強い感情を放出したくなった時。
それは誰かに見てほしい姿ではなく、自分と向き合い、放出し、内部を整理させる行為。

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2018年1月
この頃から素肌にレザーで撮るのを好んでいた。


今でも感情が高まった時や自分本意に表現をしたくなった時は、セルフポートレイトを撮っている。
きっと春乃の中では、人と共鳴して新たなものが生まれる撮影と
とことん自分と向き合うセルフポートレイトは全くの別物なんだろう。
同じ、自分が被写体である撮影だったとしても。

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2022年4月
ロックバーで抱いた反骨心を帰宅後写真にぶつけた日


セルフポートレイトを撮っている時
自己陶酔に浸っている事もあれば
自傷行為の様な気持ちである事もある。

今では撮れた写真を纏めてデジタル写真集などにして人の目に触れる機会を作っているけれど、やはりそれを撮っている姿は人に見せるものではないのだな。
気持ち的にも、大分デリケートな状態でやっているものだから。

それこそ、自慰行為や自傷行為を人に見られる様なもの。

だからこそ、人の視線があったとしても
「人前で自慰行為をしましょう。」となった場合に余所行きのオナニーになってしまうのと同じ様に
相手が求めているものに寄って何かをしているフリになってしまうのは避けたいものだな。と思うのです。

やはり人の視線がある事は意識に入れずに、自分の世界に入り込んで表現をしたい。
自分の気持ちやこだわりが強いものに関しては、いつでも本物でありたい。

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2022年2月
受動的な表現に嫌気がさし、両性具有に憧れた日


今出しているセルフポートレイトの写真集たちも、それぞれに強い気持ちや思い入れがあるから。
それに関してもまた、その時の春乃の感情の動きや思いをひとつひとつ綴っていきたいな。と思います。

何も情報が無い状態で観る写真と
写り、撮っていた者の気持ちを知った後に観る写真。
やっぱり印象って変わるのかな。

写真って受け取り手がどう感じるかは自由だし
全てが伝わる事はないと思うし、伝わらなくて良いんだけれど
誤解をされて受け取られるのはちょっと嫌だな。と思う昨今。

春乃は言葉が好きだから、言葉でも綴っていきたいよ。

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2018年1月
パティ・ボイドのオマージュ

話がいろんな方面に飛びましたが
セルフポートレイトは春乃の核心的なものを表現する方法だから、大事に取り扱っていきたいところです。


2022.8.1 春乃ミア



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