「マコト君のそうじ(2/2)」エッセイ
基本的には「箇所ずつホウキで掃いてチリトリにゴミを入れる」のではなく「全体的に掃いて一箇所にゴミをまとめて一気にチリトリに入れる」ということを教えた。階段などは特に、一段ずつ掃いてはチリトリの作業をしていたので、踊り場と一番下の階の2段階でゴミを落とし続けてチリトリ作業を2回に減らすというのを目標に設定し、私が何回も何回もやって見せた。
「こうやると、作業が減ってやりやすいし、キレイにできるよ」と教えると「なるほどっ・・・」とマコト君は言ってくれるのだが「じゃあやってみてね」と言って横で見ていると、元と同じ作業をしてしまう。根気のいる作業だったし、私も自分の担当の負担になっていたのでお互いのためになっているのか多少疑問ではあったが伝授は続けることにした。
そしてマコト君の作業の中に少しずつ変化があったので、声をかける回数は減っていき私は自分の持ち場にいることが増えた。
そして数ヶ月経ったあとにふいにマコト君の階段掃除を見ると、私が伝授した効率のよいver.に作業が進化していた。勝手に応援し勝手に感情移入していた私は感動してしまい泣くのをこらえた。そして副店長が「掃除が早くなってすごくいいぞ」とマコト君をほめているではないか。他のパートさんに「マコト君にたまに掃除の方法を教えていたら最近ほめられるくらいになったみたいです」と伝えると「たしかに最近マコト君が怒られているところを見なくなったかも。よかったね」と言ってくれたので周りも変化に気づいているようだった。
仕事についてほめられるようになったマコト君のにこにこが増えた。
さて善人ぶるような形で満足して自己完結した一連の流れであったが、どうしてマコト君を気にし、本人が求めているかも分からないのに掃除の方法を教えたりしたのかというと、とてもシンプルで、マコト君がぐちぐちと怒られているのを見るのがすごく嫌だったのだ。すごく不愉快だったのだ。
私はマコト君の丁寧な仕事ぶりにはとても尊敬の念を持ち、自分の手の抜きすぎている人生を嫌悪してしまうほど「マコト君の丁寧さ」がとても貴重で大事なものと感じていた。しかし丁寧なだけでは仕事はできないというのも分かるので、一方的に怒られてしゅんとしている状況をどうにかしたかったのだ。
朝礼で急に大きい声を出してしまったり、休憩中に図鑑に夢中になり独り言を言っては不気味がられコソコソ陰口を言われたり、人と上手く喋れなかったりするマコト君であったが、20歳の彼は誰よりも仕事が丁寧で一生懸命。そんな長所を持っている彼はきっと5年経った今でも幸せに生活しているだろう。
あの職場でも、声を掛けたりおしゃべりして彼の純粋さに癒されているような人が数人いたのだから。
下世話な話が好きな主婦や、セクハラをする男性がやたら多く、若いパートも陰口ばかりで全く人間関係は諦めていた職場だったが、当たりの強いそんな人たちの中でも純粋に頑張っていた君にとても励まされました。ありがとう。