「売れ残りの犬がうちに来るまで(1/2)」エッセイ
私は物心ついたころから大の犬好きであった。
犬を飼ったことがない私は、想像上で飼い犬を散歩したり、フリスビーで遊んだり、膝の上で寝てしまった犬をなでながらうとうとしてしまうというイメージをよくしていた。
それだけでは飽き足らず、「学校の授業中に迷い犬が校舎に侵入し、大パニックになるが誰一人として迷い犬をなだめることができない。しかし私が近づくとアラ不思議、なんとさっきまでおびえていた犬が私に懐きいい子に言うことを聞くものだからクラスメイトは『いぶきちゃんスゴイ。その犬は誰よりもいぶきちゃんの言うことをきくのね』と言われて鼻高々になり、無事飼い主に返しにいく」という犬がメチャクチャ懐いて大変だという、自分都合の妄想もよくしていた。
散歩中の犬に出くわしたり、犬が題材のハートフルなテレビ番組を見たり、保護犬のポスターに出くわす等のきっかけがあった場合に「犬がどうしても欲しくてたまらない」と発作のように感情が高ぶる時が定期的にあり、幼い頃からその度に両親に「犬が欲しい」と懇願してきた。
しかし両親は犬を飼いたいという私の意見に一ミリも賛同したことがなかった。それは今になって理解できるが、当時の実家は母が小学生の頃から住んでいるボロ家で犬を飼うスペースなんてものはなく、金銭的にも子供二人を食わせるのにようやく、といった環境だったから仕方ない。
いくら犬がどれだけ可愛いかというエピソードを語ったところで「ダメったらダメだよ」と一蹴されては「お母さんの分からず屋。犬の可愛さが分からないなんて人間としておかしい!」等と心の中で叫びながらワンワンと犬の様に泣いていた。
事態が急激に変化したのは私が中学三年生になり高校受験勉強真っただ中の秋の頃だった。
中学生になった私は懲りずに「犬が欲しくてたまらない発作」を起こしていた。例によって両親に「犬が欲しくて欲しくてたまらない。盛岡の冬はこんなに寒いんだから湯たんぽ代わりに犬がいたほうがいいよ。飼った暁にはたまに貸してあげるから、犬を飼おうよ。温かいよ」と犬を飼ったときのメリットを伝えるのを忘れずにいつものように頼んでいた。
するとその時は急に訪れた。「私も犬を飼いたいと最近思っている。お父さん、私が面倒を見るからいいでしょ」と、なんと母が私の意見に賛同して発言したのだ。
犬が好きではなく、嫌いとまではいかないがどちらかというと苦手である父は、母が言うならしょうがないといった感じで我関せずの体制を取った。母には弱い、というよりはノリ気になった母に反論するのは面倒だというようにも見えた。なぜ高校受験のこの時期に母は犬を飼うことを決心したのか・・・ずっと疑問だったが、今考えると高校生になれば私が家にいる時間も少なくなるし弟は部活で忙しくしているしこれから寂しくなりそうだから、という考えがあったのではないかと思っている。
そこからの展開はとても早かった。今までの私の嘆願してきた日々が嘘のように、ものスゴイスピードで犬を飼う話が進んでいった。(続く)