「おじいちゃんのカナリア(1/2)」エッセイ

 岩手県紫波郡にある父方の実家はカナリアのブリーダーをしていて、遊びにいくと「ピーピーピィィィ」「ピヨピヨピヨ」とかなりの大音量で鳥の鳴き声が響いているような家だった。祖父はカナリアのブリーダーとしてかなりの実力者だそうで、家には膨大な数の賞状や盾が飾られていて祖父が育てたカナリアは毛並みや鳴き声の美しさから全国にファンがいるレベルらしい。

 カナリアは、インコなどと比べるとポピュラーでない上に臆病な性格のため人にあまり懐かないが毛色や鳴き声を楽しむ愛好家が多く、観賞用として人気のある鳥である。

 祖父の家に入るとペットショップをひらけるほどのスペースが広がっており、土間のようなスペースには販売するのに十分立派に育ったカナリアたちがそれぞれの鳥かごに入って陳列されている。その先の奥まった小さな扉の先にはさらに広いスペースがありそこでは靴箱のようなスタイルで1、2羽ずつ壁面に飼育されておりその数は正確には覚えていないが30〜50羽くらいだったであろうか。そのスペースの奥にはとりわけ大きな飼育部屋が3〜5個ほどあり、2畳くらいのものから4畳半くらいの大きさの、網の扉で区切られている部屋でそれぞれカナリアが多頭飼育されていた。多頭飼育スペースは日当りがほどよく温かい。そして大きな木が植えられていて鳥たちが隠れる場所もたくさんあり自然のままのびのびと過ごせるような環境であった。単独行動を好むカナリアたちだが、居心地よくそれぞれの時間を過ごしている様に見えた。

 靴箱スタイルの鳥かごにいるカナリアたちは販売用で、健康状態や毛並みや鳴き声などを細かくチェックし大事に大事に育てられており、2羽のつがいで入っているものは卵を産む。奥の大きな部屋で暮らしているカナリアたちは祖父のペット的な感じでのびのびと育てられている、という区切りだったようだ。

 春先あたりの繁殖期にはつがいのカナリアの巣箱で卵が生まれると有精卵か無精卵かを調べ、有精卵たちを雛箱に入れて電球で暖めてふ化させる。まだ生まれない卵のままのものや、ひびが入って生まれそうなものや、生まれたばかりで力弱くピヨピヨ鳴いているものなどがいる。生まれたての雛はかなりグロテスクな見た目をしており、私の母などはあまり可愛く思えないと言っていたほどだ。

 ふ化の時期に祖父の家に遊びにいくと私と弟は必ず雛たちへの餌やりを手伝った。弟と比べるととりわけ私はこの雛への餌やりが大好きで、最初は祖父に教わりながら、その後は一人でもくもくと作業をしていた。

 餌やりの方法だが、シードなどをすりつぶして作った特製の餌を、耳かきのような形状の小さい木の棒の先に乗せて食べさせる挿し餌と呼ばれるもので、口元をトントンすると雛は口を広げて餌を食べる。餌を求めて鳴きながら口を広げてパタパタしている姿は本当に愛らしく可愛いのだ。「ちょっとだけ気持ち悪いと思ってごめんね・・・こんなにか弱くて必死に生きようとしているんだから私が愛情をたっぷりかけて育てるからね・・・」という気持ちでいた。口元をトントンせずとも自ら口を広げて食べようとする子はとても元気に育つ。しかし弱気な感じで自分から餌を食べようとしない子はだいたいすぐ弱っていってしまうので、そういう子がいるととても心配になってしまい、死んでしまわないか気が気ではなくなってしまう。

 餌やりが下手だと雛のくちばしの周りや身体の方まで汚してしまうが、だんだん上手くなっていくとスムーズに口を広げさせするっと喉の方まで落とすことができる。カナリアの雛の喉元には袋のようなものがあって、最初はぺたんこなのだが餌をあげると少しずつふくらんでいき、それがパンパンになるとお腹がいっぱいになった合図となる。雛箱に入ったたくさんの雛たちの喉元が1羽残らずパンパンにふくらんだときには達成感と、もう餌やりが終わってしまった・・・という寂しさがあったものだ。

 カナリアの雛を育てるのはとても繊細で根気のいるもので、やはり何羽かの雛は生まれてすぐ死んでしまうし、そもそも卵から孵ることができないのもいる。いくつか生まれた卵のうち、カナリアが生まれる可能性のない無精卵は祖父の手によってよりわけられる。小さい頃の私は、有精卵と無精卵を分けているその光景にとてもショックを受けてしまい、とても理解はできていなかったけれどそこで始めて生き物が生まれるという奇跡と尊さを感じたのだと思う。うっすら緑がかった小さな小さな卵はすべてが雛になると思っていたし、温めたらみんな頑張って殻をひび割ってピヨピヨと出てくると思っていた。カナリアの雛の餌やりを通して、私は命の誕生の奇跡を学んだのだ。

 雛箱に何十羽もいる雛たちはそれぞれ生まれた理由があり、命の長さもまたそれぞれである。あまりにも短すぎる生涯を終えてしまった子は見つけたときにはもう身体が冷たくなっており、私は涙を流しながら頭をよしよししてあげた。(続く)


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