「マコト君のそうじ(1/2)」エッセイ
2013年の11月にくも膜下で母が亡くなり、東京で暮らしていた私は当時高校2年生の弟が卒業するまで実家へ帰ることになった。その間の1年と数ヶ月に私は地元の24時間営業のリサイクルショップでアルバイトすることにした。田舎にありがちな、「なんでも買います!」とか「24時間営業!」とか書いてある、ああいう類いの店のかなり大規模なバージョンである。
巨大な店なので働くスタッフは大人数いて、パートの中には障害者枠というものがあり発達障害や精神的な問題を抱えている人も一緒に働こうというシステムがあった。その中にマコト君はいた。
20歳だが言動は小学生くらいの、戦隊ものや乗り物が大好きな男の子でいつも朝礼の前になにか唱えながら変身ポーズをしたり、乗り物ずかんを見ながらぶつぶつと車両の名前をつぶやいたりしていた。
マコト君の仕事は店内外の掃除をすることで、朝礼が終わるとまずは駐車場のホウキ掃き、冬場は雪かきから始まる。私はマコト君がしっかりマジメにハキハキと、丁寧に掃除をしている姿がとても好きで見かけるたびに「マコト君いいぞ、がんばれ、今日もいい仕事してるっ」と心で応援していた。
お昼休憩にお弁当を食べるタイミングで事務所に入るとマコト君はぞうきんを洗濯バサミで干しながら「お疲れ様ですっ!!!」と大きな声で言ってくれる。私も「お疲れさまです!」と返す。「今日もとても丁寧にぞうきんを干していてすごくいいね!あいさつもいつもありがとう!」と言いたいところだったが当時私も22歳とかでそこまで歳が離れていないのにおばさん臭いこと言うと失礼かな・・・と思ったりしてなかなかそこまで話すことができないでいた。
開店直前には私たち他のパートさんも軽く売り場の掃除をするのだが、担当場所のルーティンがあり数ヶ月マコト君と掃除場所が同じになった。マコト君はとても丁寧に掃除をするのだが、作業を早く終えるということがとても苦手らしく、チーフや副店長などに掃除はもっとテキパキと早くこなすように。と注意されてしょんぼりしているところを幾度となく目にしていた私は、マコト君に「効率のよい掃除の方法」をいくつか伝授することにした。マコト君は「手を抜く」という概念がないように感じたし、一度覚えたことはずっと同じ流れで丁寧に同じクオリティのままし続けることができるので、作業を早くするように教えるのではなく効率のいい方法をそのまま教え直した方がいいと感じたからだ。
マコト君は新しいことを覚えるのが苦手なようで、最初はよけいなことをして彼の負担になってしまっているのでは・・・と思うくらいだったし、それよりも普段同僚から話しかけることがあまりないマコト君は私が急に話しかける様になりしかもそれが掃除の方法の話なのでかなりびっくりしていた。私もバイト先ではあまり喋るキャラではなかったのでなかなか緊張のあるやりとりだった。(続く)