「おじいちゃんのカナリア(2/2)」エッセイ

 私が中学生になり、祖父の家に行く回数が減って雛の餌やりもしばらくやらなくなっていたころ、祖父が亡くなり家も解体することとなりカナリアたちは祖父の友人やひいきのお客さんの手に渡っていくこととなった。その中の1羽をうちの家でも引き取ることになり「ピッピ」と名付けて育てることになった。ピッピは赤カナリアで赤色の鮮やかな毛をしておりきれいに鳴く子で、家族みんな可愛がった。家は少し臭くなったし、水状のフンはピッピが羽ばたくたびにかごの外を汚しそのたびに洗うのは大変だったが、くるんとした真っ黒の目はすごく可愛かったし、ブランコに乗ってゆらゆらしている姿には家族みんなで癒された。しかし何年も経たないうちにピッピは病気になってしまい綺麗だった毛並みはだんだんボサボサになっていきずっと寝ているようになってしまい最期はかごの下に落ちて力つきていたところを発見された。
 病気で辛かっただろうし、お疲れ様だったね。という気持ちは浮かんだけれど「このあとの処理はお母さんかお父さんがやってくれるんだろうね・・・とてもじゃないけど私はさわれないよ・・・」という薄情な考えが浮かんでいた自分が少し嫌になったものである。雛の亡がらを見たときの小さい頃の慈愛に溢れた気持ちはどこへ行ったのだろうか、人間とはずいぶん適当な生き物だ。

 ピッピが亡くなり祖父の家が解体されたことによって私がカナリアのことを思い出す回数はどんどん減っていき、ペットショップの小鳥コーナーに入ったり祖父の家で撮った写真を見るなどのきっかけがあるときの数年に一度しか思い出すことはなくなった。インコや文鳥はよく目にするが、カナリアと出会うことはなかなかないのである。

 そして時は経ち祖父の家が解体されてから10数年が経つが、最近カナリアのことを思い出す回数がかなり増えていることに気づいた。あの餌やりの経験はとてもかけがえの無いものであり、でも今はもう体験することができないのだ。祖父の家はとても古く寒いし、娯楽がなにもなかったので子供の頃はたいくつな家だなぁと思っていたが、庭には金魚の泳いでいる池があり、祖父が自分で植えた植木たちが元気に育っていて季節ごとに花が咲き、趣味である盆栽はそれも県外から見に来る人がいるほどの立派なものをたくさん育てていた。父の実家は裕福ではなくむしろかなりの貧乏であったが、動物や植物を丁寧に育てとても立派に美しく、楽しんで育てるのが祖父だった。たいくつだと思っていたそれらのものが今になってとても恋しく、記憶の中にしかもうないということがどうしようもなく悲しいのだ。
 もし祖父の家を解体するというタイミングが今であったら、盆栽たちを引き取り庭の手入れも私がやり古くて可愛い台所もしっかり使うし、カナリアたちももちろん私が育て上げるからあの場所は壊さないでください、と申し出るだろうなと思ったりする。しかし現実はそうはいかない。盆栽の手入れはとても大変で繊細なものだし、あの古すぎる家はお風呂を炊くにも一苦労だし、何よりカナリアの育て方など分からない。まして私はカナリアの雛の餌やりが上手だと大人たちにおだてられ、そして可愛い雛たちに心を奪われていただけであり、成鳥にはさして愛情を注ぐことのできない薄情者なのである。
 今思うあの美しい風景や環境は、祖父がいて、祖母がいたから成り立つものなのだ、ということに考えついてようやく辿り着いて納得することができた。父や母がその景色を守ろうとしなかったのは、自分の生活に取り込むには地理的にも遠ければ、モノがあまりに特殊だったのだ。

 祖父も祖母もいなくなり、家も解体されて懐かしい風景は家族たちの記憶の中だけにあるものとなった。私は今その思い出を現実にするためなのか、祖父の家にあったレトロな柄のガラスコップをリサイクルショップで見つけては購入しコレクションしており、盆栽を置いているおうちの庭は凝視してしまうし、キッチンは祖母がレイアウトしていたイメージを再現しようとしている。そして現在、カナリアを買いたいと思い至っているのでこの文章を書いているのである。
 しかしカナリアを購入する場合、それは成鳥なのである。雛を育てるのはかなり大変なのでペットショップなどで雛の状態のカナリアがいることはない。私はカナリアを育てるということは卵から孵ったばかりの雛を自分で挿し餌をして育てるのが醍醐味だと思ってしまっているのでこうなるとつがいのカナリアを育てて卵を産ませるしか方法がないということに気がついた。そして卵が生まれたところでそれを育てるのはとても大変なのだ。
 思い出はきれいなまま記憶の中にしまっておいて、もっと歳をとって動物をゆっくり愛す自信がついたらカナリアを育ててみようかな、とこれを書きながら思い直している。カナリアを飼うのは大変なのだ。

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