「上京、そして最速の引っ越し」エッセイ
高校を卒業し、上京してきて最初に住んだのは笹塚という街だった。震災直後なので新幹線は動いておらず、母と二人夜行バスで東京へ到着した。早朝に着予定だったのであらかじめカギは郵送しておいてもらい新宿からそのまま住む予定のアパートへ向かった。
朝一の宅急便で届く様にしていた布団のセットを受け取り、床に敷いて休みながら、ガス水道電気の業者が来るのをゆっくりと待っていた。
朝9時頃、ドアチャイムが鳴ったので業者かな?と思って出てみると、金髪でタンクトップ姿のヤンキーが居た。2〜30代の若くはなさそうなヤンキーは結構なご立派な入れ墨を入れていらっしゃる。
「引っ越しの音響きすぎてうるさいんだけど」彼は言った。
「え……すみません」と私たちが言い終わる前に彼は階段を降りていった。どうやら私の部屋の真下の部屋の住人のようだ。
東京の4月といえど、まだまだ肌寒い。私なんて地元から着たままのジャンバーを羽織っているほどだ。入れ墨を私たちにアピールするために、これ見よがしにタンクトップを着てきたのは明白だった。彼は私たちをビビらせに来たのだ。正直かなりビビったし、まだ初日の数時間しか経っていないのにもう引っ越したいと思った。
たしかに安い古めのアパートだし、絨毯などを敷く前の新居では小さな足音も聞こえたかもしれない。でも普通はそれで、新しい入居者をビビらせにくることなんてないのは私にも分かる。
そして夕方から私は好きなバンドのレコ発ライブに外出していたのだが、母が布団で寝転んで休んでいるとチャイムが鳴り、ヤツが来たという。怖いので居留守を使うと「無視っすか〜?」と言ってきたという。何それ怖い。ヤベェヤツに、目をつけられてしまった……私と母は絶望した。
2日かけて母と神奈川の叔父に手伝ってもらい1人暮らしの用意をし、2日目の夜、母は夜行バスの乗り場へ向かった。新宿のバス乗り場へ見送りに行くがその道中はあのヤンキーが心配だという話ばかりになった。上京する娘と母のしんみりとした空気感がだいなしである。後から聴いた話、同じく上京組の友達のお母さんとバスで乗り合ったそうで、うちの母は心配で泣いてしまっていたという。たしかに帰り際は涙をこらえているように見えた。ヤンキーの登場さえなければそこまでではなかったかもしれない。
一度で済めばいいけど、と思っていたヤンキーとの衝突は思いとは裏腹に激化していくのであった。
母が帰ると、それから毎日のようにヤンキーは文句を言いにきた。炒め物をしているだけで、シャワーを浴びるだけで、DVDを見るだけで、そーっと歩くだけで、ピンポーンとドアチャイムが鳴り「嫌がらせ?うるさいんだけど?そろそろ訴えるよ?」と言われた。
引っ越し初日にヤンキーが来た翌日、すぐ不動産屋さんに相談をしたが、改善は見られない。「何年か住んでいる人で今までトラブルもなかったんだけどねぇ……」そう頼りない担当のおばあちゃんは言った。あれでトラブルが今までなかったなんて嘘でしょ……もしかして味方してくれないのでは?と不安はよぎる。
それどころか管理会社に匿名の苦情電話がきたらしく、実家に連絡が行ったようだ。母は引っ越し当日の話をしたが、言ったもん勝ち感が否めない。とりあえず、先に不動産屋に相談しておいたのが不幸中の幸いだった。(続く)
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