「母の駐車場ノイローゼ」エッセイ

母は駐車場で自分の車を探すのが絶望的に下手だった。


スーパーや大きなホームセンターなら少しウロチョロすれば見つけられたのである程度どうにかなっていたが、私が小学生になり盛岡にイオンモールが出来ると母の苦悩が始まる。正面の広い駐車場と、4階建てほどある立体駐車場のどこに車を停めたかが分からなくなってしまうのだ。

私は母について歩くだけだったので当時はなんとも思っていなかったのだが、今思うとかなりの時間車を探しさまよい続けていた記憶がある。

ジャスコにだけ用事があり軽く買い物をして帰るときはだいたいジャスコ側の立体駐車場に停めているのでわりとスムーズに帰宅できた。しかし数時間かけて専門店街をウィンドウショッピングしたり服を買ったりして最後はスーパーで食材の買い出しをする、などというスケジュールを組んでしまうと悪夢の始まりである。立体駐車場のどの階から来たのかがまず分からないし、なんとなくここかな?と思って向かってもたくさん並んでいる車たちのどのあたりに停めたかも覚えていないのでしらみつぶしに歩き回る。食材をたくさん買い出してしまった時は悲惨である。重いスーパー袋を両手に持ち小さな子供を連れて。歩けども歩けども車が見つからないのだ。

駐車場が広いからイオンは行きたくない。と言われたことすらあった。

母は自分をおっちょこちょいと笑っているのか、本気で悩んでいるのか検討もつかなかったが、ついにイオンで車に辿り着けないという文字通りの悪夢をたびたび見るようになったという。駐車場ノイローゼである。

私が中高生になると、イオンに到着したら店内に入る前に車を停めた階数と置いた場所のナンバー(A-4とかD-30とか書いてあって色分けされているやつ)を口に出してちゃんと覚えようねと母に注意する役目を担うようになる。停めるときにはエレベーターや自販機の近くなどなるべく目印のある場所にした。そうするとだいぶ迷うことはなくなった。

停めた階数と車のだいたいの置いた場所を記憶してから入店する。それはきっと全国、いや世界の人が当たり前に行っていることなのだと今なら分かる。しかし母がそれをできないのならば、物心つくまでその子供の私もできないものである。教育って大事なんだな。常識って知っておくべきなんだな。と思う。

大人になった現在、1人で運転をし大きなモールに行って長い買い物をするとたまに母と同じ状況になることがある。母ほど重傷ではないけれど。

ぼーっと運転し、ぼーっと到着し、ぼーっと買い物をするとどこに車を停めたかなんて全く覚えていないのだ。自分がそうなってみて初めてこういうことね、と思った。ただ私の場合はやみくもに歩いたりはしない。記憶をゆっくり辿るのだ。ひとつひとつ前の行動を思い出して入店までさかのぼる。集中してうまくさかのぼることができないときはフードコートで飲み物やアイスを買って思い出すまでゆっくりすると時間はかかってもいつか思い出す。

新しい車だと遠隔操作でカギを開けてピピッと鳴ってライトが光ったりするからすごく便利だよね。そして最近はスマホの地図アプリで車の置いた位置を記憶してくれる機能があるそうな。ってことは車の置き場所を忘れてしまい困ってしまう人が他にもたくさんいるってことなのだな、と安心したりする。

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