サンタさんからのプレゼント
さんたさんえ
ばいおりんがほしいですありがとう
ゆりより
読解するのも骨が折れる文字で書いてあるのは、昨日100均で買ったばかりの折り紙(黄色)の裏。べたりとセロハンテープで壁に貼ってある。サンタさんのふりをする私はそっとはがす。だが、どこに仕舞おう。プレゼントより小さい分隠しやすいが、保管期限が来ない物は隠した場所を忘れてしまう。これから先、三年くらいは隠し通さなければならないのだ。難題。
もう数週間前に、Amazonで発注しておいたプレゼントを包まなければならない。包み紙を家に持ち込むのも一苦労。こどもの居ない時間を狙って、買いに行くのだ。そして、子どもが寝静まった後に包む。万が一、トイレに起きてきた子と遭遇しないように、聞き耳を立てて、張り詰めた空気の中、手早く包む。おっと、手紙も忘れずにね。あえての英語表記。間違ってるかもしれないけど、どうせ訳すのも私だもんね。気にしない。雰囲気さえ出ていればよし。サンタさんは大変なのだ。
こうして、あとは枕元に置くだけ(狭い我が家に大きなツリーはない)、という24日。ゆりは言い出した。「本当は、キュアウィングが載ってるバッグとかが欲しいんだよねー。サンタさんわかってるかなー?」
わからないよ。わからない。わかるわけないし、わかりたくないよ。しかも、今頃。無理だよ。そもそもそんな商品あるのかな?…検索…プリキュア種類多すぎ…ウィングって誰…これか、主要メンバーじゃないのか…一人ピックアップされ、商品化されるキャラじゃないんじゃない?…そもそもかわいいか?…あれ?これ男の子?かな。…え、なに、まさか恋??…どっちにしろ、無いわ。そんな商品。はい、終了…
今更どうしようもないにも拘わらず、確認してしまうのが親ってもの。なるべく子の要望に応えたい。いや違うな、明日の朝、とびきりの笑顔が見たい。いやいや違う。望んだ品物じゃないのを見たら、子どもは、サンタがプレゼント選択において万能じゃないのに気づいてしまう。サンタさん、自分のことをわかってくれてないんだ…そう思ってほしくないんだ。
かつての自分のように。
小学校一年生のクリスマスの朝、枕元に包みが二つあった。大喜びで開けた。一つは、猫のぬいぐるみ。もう一つはローラースケート。
あの時、自分が何を欲しがっていたのか、今は思い出せないけれど、目の前のそれでは全くなかった。
猫は、子供向けにかわいらしく作られているわけでも、本物に似せてあるものでもなく、糸で線状に塗ってあるだけのきつい目に、くびれもない球体に近い黒い体。少しもかわいくない。それになんだって、ローラースケート。インドア派の私に。運動神経ゼロな私に。こけたら痛いじゃないか。
サンタさんは何を考えているんだ。このセレクトは完全に嫌がらせだ。心底がっかりだ。
冬休みが明けて登校した私に、追い打ちをかけるような出来事が起こった。同じクラスのませた子(兄がいる)が、大声で友達に言い放ったのだ。「まだサンタさんなんて信じてるのかよ。いないんだぜ。お母さんがサンタのふりしてるだけなんだぞ!」なんでも知りたい年頃の子いっぱいの、暖房のきいた教室は、騒然とした。「えー、じゃあプレゼントは?」「お父さんやお母さんが買ったんだよ」「うそ」「おまえんち、煙突あるのかよ」「だってお父さんもお母さんも寝てたよ」「こっそり起きておいてるんだよ」なんて風に。
そうか。あの悪趣味なプレゼントは、サンタさんからじゃなかったのか。サンタさんの無能ぶりを嘆かなくていいのか。サンタさんは汚されなかったのだ。
すぐ飽きてしまうようなおもちゃを買い与えたくなかったから、成長してもずっと部屋においておけるような、大人っぽいデザインのぬいぐるみ。家で絵をかいたり、本を読んだりするのが好きな子に、ほかの子のように外で溌剌と遊んでほしくて選んだ、オレンジ色(これがまた、私の嫌いな色だった)のローラースケート。
親になった今ではわかる。そのプレゼントの方向性が。
でも一年生だった当時の私がその考えに至るはずもなかった。むしろ、センスがないのは、サンタさんではなく親であったという、つらい現実を突きつけられたのであった。そして会えないサンタには言えなかった不満をぶつけられることに気づいた私は、帰るなり親にむかって言ってしまった。
「サンタっていないんでしょ。プレゼント、ママたちが選んだんでしょ?なんであれなの?もうぬいぐるみで遊ばないのに。しかも、全っ然かわいくないし。ローラースケートも怖いよ。したくない!要らない!」
母は憮然として、でも静かに言った。「そう。じゃあ、来年からなしね」
言葉の通り、翌年からプレゼントは置かれなくなった。小さな弟にだけ届くプレゼントを見ながら、こんなことならサンタさんが誰とか知りたくなかった。クラスのバカ男子のせいだ。そう思っていたけれど、実際は私のせいだ。親が私の知らない間にデパートまで足を運び、ワクワクしながら選んで家に運び込み、狭い家の中、目につかないところを探してしまいこみ、こっそり夜中に置いてくれたプレゼント。それをさんざんコケにした。台無しにした。
ゆりも数年うちに、サンタさんがいないことに気づく日が来る。その日はゆりにとっても、私たち親にとっても試練の日だ。あの日の私のように、ゆりが責め立ててきた場合、私はなんといえばいいのか。何が正解なんだろう。あの日の私はどういってほしかったのか。
もし母が「ごめんね」と言っていたなら、私は自分の乱暴なふるまいを突きつけられ、みじめな気持ちになっただろう。母親が謝る必要がないことは、いくら一年生でもわかるから、自己嫌悪。それでも、その後数年、クリスマスが来るたびに感じる気まずさを抱えるよりましだったんじゃないか。
母が「ごめんね」なんていう人ではないことはわかってるし、自分もまた「こんなプレゼントは嫌だ」と口に出さずにいられる人間ではないこともわかってるけれど、パラレルワールドのなかでの、幸せな結末を、温かいクリスマスを夢想する。
ゆりよ、その日が来ても、どうか、私を責めないで。頑張って、あなたがサンタさんに失望しないクリスマスプレゼントを選ぶから。だから、手紙は正直に書いて。そしてクリスマス当日が来るまで、決して、心変わりしないで。私たちの幸せのために。
そして、こんな歳になってもまだ言えていないけれど、パパ、ママ、あの日はごめんね。ありがとう。
さて、プリキュアウィング、君をどうするべきか。今日は24日である。