好きな作品の最後を見届けないこと。
好きな小説がある。
入間人間 / 嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
この作品が好きだ。中学生の頃友人が貸してくれた。それは当時のわたしにとって衝撃的な内容であったし入間人間の文章にただただ引き込まれて飲み込まれた。
内容については別途調べてもらうとして、好きとは言いつつもほとんど読み返したことはない。
何度でも読み返したい作品とそうではないがいつまでも心に残り続ける作品がある。きっと誰にでも該当するものがあると思う。みーまーは後者にあたる。
そして当時最終巻であった10巻をいまだに持っていない。つまりわたしは彼らの最後を見届けていない。
それでも好きと言っている。ちゃんちゃらおかしな話かもしれない。
作品が終わるということは彼、彼女らの活動が停止するということだ。その筆者がえがく彼らを、見る、読むことは叶わなくなる。わたしはその最後の瞬間を見たくないのだ。
物事を終えることは達成感と共に喪失感を伴う。こと好きな作品においては前者を後者が上回ってしまう。
終わった! 面白かった! よりも、終わった……ここから先はなにもないのか……という気持ちに支配される。
ペルソナ3ポータブルを遊び終えたあとの喪失感や虚脱感は今も覚えている。それだけ熱中した。それからかもしれない。好きになるほどに最後を見たくないと思ったのは。
最後を見届けずにいることは、まだ先があることを担保することだ。ここからわたしが動かなければいつまでも終わることはない。終わらせたくないからいつまでもそこにいる。
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