彼が盗みたかったものは。(ヨルシカ / 盗作 レビュー)
言い方が悪いのは百も承知だがこう書かずにはいられない。
気持ちの悪いアルバムだと。
まず、これは微塵も悪い意味ではないということを理解して欲しい。
この「盗作」というアルバム、まずコンセプトから尖っている。音を盗む泥棒が題材になっている。
盗作とは、言葉を選ばず言い換えればパクリのことだ。なにごとにおいてもパクリという行為は非難の対象になり得る。
しかし音楽に限らずオマージュやリスペクト、インスパイア、パロディなどなど、それらが表現の一つとして用いられることはしばしばある。
上述のそれらの線引きは難しい。創作者がリスペクトだと言い張ってもそれがパクリとして受け取られてしまうこともある。
それぞれの差異については調べて頂くとして話を進める。
わたしはn-buna氏が影響を受けた音楽を存じ上げてはいない。今回の"盗作"に限らず、聴いてきた音楽が彼の楽曲に反映されていることもあるだろう。
そして"盗作"ではタイトルから察せられるとおり、盗むことに重きを置いている。
その盗む対象、もといパクるとなっているのがヨルシカの楽曲となっている。
"盗作"の感想の前にヨルシカとの出会いについて語っておきたい。
わたしがヨルシカを聴き始めたのは2ndアルバム"エルマ"がリリースされる数週間前だ。歌唱するvtuberを追うのが趣味で、多くのvtuberがヨルシカをカバーをしていた。カバー楽曲はあまり聴かないのと当時ヨルシカそのものの音楽を知らなかったためカバーも聴くことはなかった。
わたしは中学生から邦楽ロックをよく聴いていた。姉がBUMP OF CHICKENやELLE GARDENなどを聴き始めたことに影響されたのだ。
その後、自分で音楽探しをするようになると、どうも人と違うものを求める感性が主張し始めた。ハッキリ言うと高二病だ。
ニコニコ大百科の高二病にはこう書いてある。
『玄人・通を気取り、人気がある・有名な・流行している物や作品を嫌う』
(ニコニコ大百科 https://dic.nicovideo.jp/t/a/高二病 より引用)
わたしのソレは完全にコレだ。そもそも高二病という言葉を知らない頃、かつ意図的にそう振る舞おうとしたのではなく最初からコレであったため、自分のこの気質を天然高二病と個人的に呼んでいる。
とにかく有名で人気で流行している音楽はとんと聴かなかった。その気質は今現在も確実にあり、そのような経緯もありヨルシカを率先して聴くことはなかった。
とはいえそれはもう名前を見かけるのだ。それと同時にこれまでほとんど聴いてこなかった女性ボーカルのアーティストの発掘にも勤しんでいたため、開拓として"だから僕は音楽を辞めた"を聴いた。……なんかめちゃくちゃよかった。それはもう超よかった。激ヤバ。
間を置かずしてヨルシカのミニアルバム2枚と1stアルバム"だから僕は音楽を辞めた"をmoraで買い揃え、2ndアルバム"エルマ"のCDを予約した。
わたしは特にハマる楽曲がいくつかあるとそのアーティストを好きになる傾向がある。そしてアルバム単位で収録順に再生する。1曲だけリピートしたり好きな曲をリスト化したり多様な聴き方があるが、アーティストが意図した順番で聴けるアルバム収録順が一番好きな聴き方だ。
こうしてヨルシカの音楽がわたしに流れ込み、聴き始めてからおよそ1年が経った7/28に待望の3rdアルバム"盗作"がリリースされた。
およそ1年に渡ってヨルシカを聴き続けたので体内には血のほかにヨルシカの音楽も流れていると思う。なんなら脳内で無限にヨルシカが流せるくらいにはなった。脳裏で音楽が鳴り止まないことをイヤーワーム現象というらしい。
いざ"盗作"を通しで聴き思い至った感想が冒頭に書いた、気持ちの悪いアルバム、であった。
ああもうとにかく気持ちが悪かったのだ。
なぜかってどこを切り取っても既存のヨルシカ楽曲に含まれる音やニュアンスを含有しているからだ。
当然n-buna氏が楽曲を作っている以上、彼らしさが楽曲に滲み出るのは間違いない。三月のパンタシアの「青春なんていらないわ」を彼が作詞作曲編曲していることを知らずに聴いて、友人に爽やかなヨルシカの音がするな、とLINEを送ったこともある。人それぞれの音というのは確実に存在し、音楽知識など全くないわたしもその人の生み出す楽曲の「らしさ」というものを感じ取ることができるのだから、音楽に明るい方であればもっと論理的に説明できるだろう。
"盗作"で感じたものはその「らしさ」とは違う異質なものだ。ヨルシカっぽい音のする「なにか」に思えて、とにかく奇妙だったのだ。それが気持ち悪いと称する理由だ。
"盗作"は音を盗む泥棒がコンセプトとなっている。だからわたしがこう感じることも意図されたものの一つであろう。そこまで見越したアルバム作りがなされていることが素直に凄い。
アルバムの曲順も秀逸だ。音楽泥棒の「彼」の半生を辿る旅路のような感覚を味わえる。ラスト2曲のカタルシスも心地が良い。
映画の主題歌である「花に亡霊」、挿入歌の「夜行」。映画も鑑賞しており、作中で使用されていても世界観を感じさせる上に、このアルバムの1曲としても世界観を保持している。タイアップ曲というのは作品に引っ張られるようなイメージがあったが、上記の2曲はテーマソングとしてもアルバムの曲としてもしっかりとした立ち位置があり、どのような聴き方であっても耐え得る存在感があった。
そして小説"盗作"について。
これもまた爽快な物語ではないしスッキリする終幕。迎えることもない。盗作をする男の破滅までが描かれている。
おこなっていることを考えればそのような結末を辿ることを想像するのは容易ではあるが、彼の自白がなければスターダムに上り詰め名声を欲しいままにしていたことだろう。
破滅願望というものは不思議な感情だ。積み上げてきたものを全て壊してしまいたいという感覚を覚えたことがある人もいるだろう。
彼は自分で作り上げたもの、もとい虚構で塗りたくられたそれを観衆の目の前で壊してみせた。お前たちが称賛したものが積み上げられた歴史のパッチワークでしかなかったことを知らしめたのだ。
少年との繋がりを保つことを選んでいたら、なにか変わっていたのだろうか。
終わりに。
"盗作"はヨルシカの集大成の一つと言える。
眉をひそめてしまうタイトルのアルバムはその名称のインパクトだけでは終わらない作品であった。
ヨルシカのフルアルバムはいずれもコンセプトアルバムであったが、中でも非常に入りやすく分かりやすさも兼ねたアルバムだった。
このアルバムからヨルシカを聴き始めるのもまた面白いと思う。"盗作"を聴き込んで他のヨルシカ楽曲に触れて、それぞれの曲のニュアンスやアレンジの元を聴くことができるのは"盗作"から聴き始めた人だけに楽しめる聴き方だ。
是非"盗作"をお楽しみください。
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