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樹木図鑑 vol.16 ミズナラ 森の怖さを教えてくれる樹

学名  Quercus crispula Blume
ブナ科コナラ属
落葉広葉樹
分布  南樺太、南千島、北海道、本州、四国、九州 冷涼な気候を好む
樹高  30m
漢字表記 水楢
別名  オオナラ
英名  Japanese Oak

岩木山登山に出かけた日の、帰り道のこと。

ぼくは、岩木山山頂から嶽温泉に下る登山道を歩いていました。時刻は16時。薄暗くなり始める時間。思った以上に登りに時間がかかり、帰りが遅くなってしまったのです。
普通に考えると、この状況はあまりよろしくありません。夕暮れ時まで森の奥にいると、道に迷った時のリスクや、熊との遭遇の確率が高まるからです。

しかし、その時の僕はめちゃくちゃ呑気で、遭難のリスクなど頭の中に入っていませんでした(反省‼︎)。登山道周辺のブナ天然林の美しさに打ちのめされ、帰着時間について考えている余裕などなかったのです(普通は逆です)。美しき大木ブナたちに囲まれると、なにも考えられなくなる……。ただただ森の素晴らしさにひれ伏すばかり。
白い美肌を身にまとい、樹々が色気を充満させているブナ林は、樹木好きにとっては歓楽街のような場所です。誘惑に負けて、ついつい長居してしまう。

…とは言っても、さすがにいつまでも”歓楽街”にいるわけには行きません。自分には帰るべきところがあるではないか。そう思って、ブナの大木を激写しようとシャッターを押す手を止め、ふたたび歩き始めました。

5分ほど歩いた頃でしょうか。
突然、森の雰囲気が一気に不気味になりました。夕暮れ時特有の、陰気で黒々とした空気が充満した森。熊とか、オカルト的なヤツの出現が予見される感じ。さきほどのブナ林の幻想的な雰囲気はどこに行ったのやら。ここで長居は絶対に嫌だ…早く帰りたい。気づけば歩くスピードが速くなっていました。熊よけと恐怖感の軽減のために、スマホでジャクソンファイブの明るい曲も流しました。”歓楽ムード”は完全に消滅です。

この「不気味な森」の正体は、ミズナラ林です。

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↑岩木山の山腹のブナ林(上)とミズナラ林(下)。写真では伝わりづらいですが、ブナ林は、幹部分が白っぽく、林内が明るい印象。一方のミズナラ林は幹部分が茶色で、林内が暗めな印象。2021年9月10日 青森県弘前市

ミズナラは、北日本を代表するどんぐりの樹で、ブナと並び、落葉広葉樹林の主役の座に君臨する樹木です。

すべすべ美白樹皮を纏うブナと比べると、ミズナラの「樹皮ファッション」は正直イマイチ。
ミズナラの幹は、全体的に焦げ茶色に近い色をしていて、樹皮には細かい溝が何本も入ります。ブナの幹と違って、艶やかさや色気がありません。

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↑ミズナラの幹。2021年9月6日 青森県十和田市

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↑ブナの幹。2021年12月11日 青森県十和田市

白いブナの幹は、光を反射しやすいため、日光の明るさを森の中まで運び込んでくれます。そのため、多少日が傾いても林内は照明が効いたような状態になり、居心地の良い雰囲気が漂います。
一方ダークな色合いのミズナラの幹は、そんな気の利いたことはしてくれません。日が暮れたら、暮れた分だけ森の中を暗くし、中にいる者の恐怖心を煽るのです。同じ落葉広葉樹でも、森への訪問者に対する「愛想」には雲泥の差があります。

幹の色合いの違いが、林内に反射する日光量の違いも生み出したこと。
これが、夕暮れ時の岩木山で、森が急に不気味になった理由です。あの時は、ミズナラが「ブナ林の優しい雰囲気に甘えて夕暮れまで森に入り浸っていたら、危ない目に遭うぞ。早く森から出なさい」と忠告してくれていたんだなあ。

付き合いやすいのはどっち?

前述したように、ブナとミズナラには、冷温帯林を代表する高木、という共通点があります。
そのため、両者はよく比較されて語られます。

個人的に、ミズナラとブナの最大の違いは「樹姿の印象」だと思っています。

ミズナラの大木は、全体的に力強い印象です。太くて短い幹から、ゴツい枝がドシドシ分岐していく姿には、観る者をねじ伏せるような気迫があります。貫禄・威厳を周りに撒き散らしている感じ。樹の下に立つと、「無礼な態度は許されないな…気を引き締めなくては…」という、目上の怖い人と会う時のような緊張感を感じます。

一方でブナの大木には、もう少し優しいオーラが漂います。すらりと高くのびた幹から、細いけれども伸びやかな枝が何本も分岐していく姿は、まるでバレエの踊り手。敬意を払うべき美しさがあるけれど、「シャンとしなければ……‼︎」という緊張感を煽る気配はありません。ただただ、樹そのものの美しさにうっとりする。そんな余裕を鑑賞者に持たせてくれます。

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↑ミズナラの大木。かなり低い位置から太い枝が分岐し、自分の強さを周囲に振り撒いているかのような樹姿に育つ。

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↑ブナの大木。幹は長く、枝の分岐はかなり高い位置から。全体的にスリムで、ボディラインにうっとりしてしまう。樹の下に立つと、優しい雰囲気に包まれる。

ミズナラとブナ、どっちの樹と一緒にいたいですか?と尋ねられると、多くの方は「ブナ」と答えるでしょう。そりゃそうです。

自らの威厳と貫禄をもって迫り、緊張感を煽る樹と、優しい雰囲気でこちらを包み込み、森の美を堪能させてくれる樹。どっちの樹の森が居心地いいか、となると後者一択だと思います。
実際、「◯◯の山はブナ林が美しい」「ブナ林歩きを楽しみたいなら〜のコースが良い」など、ブナ林トレッキングに関する情報は世間に溢れていますが、「○○の山のミズナラ林は見事だ」などという、ミズナラ林トレッキングの情報はほとんど流れていません。というかそもそも、ミズナラ林を好き好んで歩く、というハイカーはかなりの少数派(もしかしてゼロ?)だと思います。

森歩きを趣味とする方々の中でも、ミズナラの人気は下火なのです。

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↑どっしりと鎮座するミズナラの大木。2021年9月10日 青森県弘前市

かくいう僕も、どちらかといえばブナ林のほうが好きです。なんせミズナラ林は暗いですから……。
では、ミズナラはブナよりも魅力が少ない樹種なのか、と聞かれると、そういうわけでもない。

「ミズナラ林」「ブナ林」という森林環境で括って話を進めれば、確かにブナ林のほうが居心地が良いけれど、「ミズナラの大木」「ブナの大木」のように、樹木の個体一本一本に焦点を当てて「さあ、どっちが良い?」と聞かれると、答えは出せません。

力強い姿のミズナラの大木も、それはそれで魅力的です。

優しいオーラのブナだけに囲まれた森歩きは、気持ち良いけれど単調なものになりがちです。しかし、そこに厳しいオーラを持ち合わせたミズナラの大木が時折現れると、「おおっ」と圧倒され、森歩きに変化が生まれます。ミズナラの大木は、樹姿ウォッチングの楽しみにスパイスを効かせてくれるのです。

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↑奈良県大台ヶ原の森で出会った、ミズナラの大木。巨神兵を想起させるフォルム。

奥入瀬の森には、ミズナラの大木も、ブナの大木も両方いらっしゃるので、歩いていて退屈しません。お二方が発散するオーラを、交互に受け取りながら歩けるので、飽きが来ないのです。

森歩きを充実させるためには、ミズナラもブナも、両方必要です。ミズナラにはミズナラの魅力があり、ブナにはブナの魅力がある。樹木の個性に優劣はつけられません。どの樹木も100点満点です。

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↑ぐねぐねと大蛇のような枝ぶりを披露してくれたミズナラ。十和田湖畔にて。ブナには、この奇怪な樹姿は作り出せないよなあ…
2021年8月30日 

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↑ミズナラの葉。葉縁が波々としているブナと違って、ミズナラの葉縁はギザギザ。2021年8月30日 青森県十和田市


木材となり世界を飛び回る

さて、森歩き愛好家からの人気は薄いミズナラですが、かつてはそんな彼に絶大な信頼を寄せる人達がいました。それは、木材商人。
実はミズナラ材は、世界でも指折りの銘木と称されるほどの良材なのです。

江戸時代まで、ミズナラ材はまったくと言っていいほど注目されていませんでした。材が堅く加工しづらいため、あまり利用されなかったのです。せいぜい薪に使うぐらい。

しかし明治時代になると、状況はガラリと変わります。当時は鉄道の敷設工事が日本各地で行われていた時代。そこで北海道産のミズナラ材が、枕木の材料として盛んに用いられたのです。

さらに、日清戦争が終わると、シベリア鉄道・露清鉄道の建設用に、北海道産ミズナラ材はロシアへ輸出されるようになります。まだ工業化が進んでいなかった当時の日本にとって、ミズナラ材は重要な輸出品でした。ミズナラは、当時の交通・経済を陰で支えていたのです。

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↑若いミズナラの樹皮。ペリペリと樹皮が薄く剥がれ、パイの生地のような質感になるのが特徴。2021年4月3日 青森県青森市


その後、ミズナラ材の海外進出はさらに加速します。三井物産がミズナラ材の見本を英国に送ったところ、これがかなりの高評価。ミズナラ材の柾目(まさめ、丸太をど真ん中で縦方向に切断した時の木目)には虎斑と呼ばれる縞模様があり、これが非常に美しい。その綺麗な木目を生かして、ミズナラ材がヨーロッパで家具材として重宝されるようになりました。

19世紀まで、ヨーロッパではミズナラと同じブナ科コナラ属に属する「ヨーロッパナラ」が家具や帆船の材料として用いられていました。このヨーロッパナラも、「イングリッシュオーク」と呼ばれる優秀な木材を産出する樹だったのですが、それゆえに乱伐され、やがて枯渇。以降、ヨーロッパ人は新たな優良材を探し求めていたのです。
そんな状況の中現れたミズナラ材は、一躍注目の的となりました。イングリッシュオークにも引けを取らない良質な材の再来に、ヨーロッパの木材商人たちは歓喜。高い関税と輸送費を費やして北海道から輸入しました。それぐらい魅力的な樹種だったのです。

やがてミズナラ材は、ヨーロッパで「ジャパニーズオーク」と呼ばれて珍重されるようになり、日本もその需要に応えて大量のミズナラ材を輸出(主な輸出相手国はイタリアとデンマークでした)します。1960年代まで、ミズナラ材は日本の木材輸出総額の20%を占めていたそうです。

ヨーロッパに渡ったミズナラ材は、職人によって上質な家具に仕上げられました。ヨーロッパ各地に現存しているアンティーク家具の中には、日本のミズナラ材で作られたものが数多くあります。

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↑ミズナラは、結構綺麗に紅葉する。ブナやカエデ類に比べると存在感は劣るが、ぼくは好き。2019年11月9日 京都府京都市花背

また、ミズナラ材は家具職人だけでなくウイスキー職人からも人気でした。
ミズナラ材で作られた樽にお酒を入れて熟成させると、材の中に含まれるタンニンが溶け出してウイスキーの香味が増します。そのため、ミズナラ樽で作られたウイスキーの香りは極上。ミズナラ樽で発酵させたジャパニーズウイスキーは、国際的にも高い評価を得ています。
樽を作るためには、樹齢200年以上のミズナラの大木を使用しなくはならないため、ミズナラ樽ウイスキーは希少価値が高く、非常に高級です。ミズナラ樽で50年間熟成させたウイスキーが、1本100万円で落札されたこともあります。ミズナラが生み出す極上の味は、かなりの大金を生み出すのです。(悲しいかな、ぼくはまだ未成年で貧乏なのでミズナラ樽ウイスキーにはご縁すらありません……)

現在は、木材が採れるほどのミズナラの大木は伐り尽くされたため、ミズナラ材が利用される機会は激減しています。しかし、往時に伐られたミズナラの大木たちは、アンティーク家具になったり、極上のウイスキーの作り手になったりと、形を変えて今も世界のどこかで活躍しているのです。ミズナラは、世界を股にかけた樹と言えるでしょう。

ブナよりもタフ

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↑冬のミズナラの純林。ブナの森とは枝ぶりの印象が違う。2021年12月2日 青森県十和田市

ミズナラは、ブナよりもタフな性格の持ち主です。

一般的に、ミズナラはブナと比較して厳しい環境に生育する傾向があります。ブナ林は山の中腹の適湿地(乾きすぎず、湿りすぎずな環境)に成立するのに対し、ミズナラ林は乾燥した尾根筋に成立します。ブナが生育できないほどに条件が悪い場所では、ミズナラが代わりに進出し、森を作るのです。

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↑岩に根を張りつかせて生育するミズナラ。奥入瀬渓流周辺の尾根筋に登れば、こんな樹をわんさか見ることができる。岩がゴロゴロした、栄養条件のよくない地で森を作るのは、ミズナラの得意技。2021年9月6日 青森県十和田市

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↑下北半島の海岸沿いの森で遭遇したミズナラの群落。強い潮風が当たる場所では、さすがのミズナラも樹高が低くなるが、こんなに厳しい環境で群落をつくるだけ偉い‼︎

さらに、ミズナラはブナよりも「復活力」が高い。

基本的に、ブナは萌芽能力(切り株の状態から、新しい芽を出す能力)が弱いのですが、ミズナラはかなり強い萌芽能力を保有しています。ブナは伐採されるとそのまま枯れてしまうのに対し、ミズナラは伐採されても再度発芽して”復活”するのです。

そのため、ブナとミズナラが混じった混交林(ほとんどのブナ天然林には、ミズナラが多かれ少なかれ混じっているケースが多い)に伐採が入ると、ミズナラだけが生き残り、その土地はミズナラの天下となります。

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↑ブナとミズナラの混交林に伐採が入ると、図のような流れでミズナラの純林が成立する。岩木山山麓など、古くから薪炭林として利用されてきた土地で大規模なミズナラ林が見られるのも、ミズナラの「復活」が原因。冒頭に書いた夕暮れの森の一件も、ブナ林とミズナラ林がモザイク状に混在したエリアで起きた。おそらくあの土地は、大昔は広大なミズナラ林だったんだろうなあ。

こういったタフさを活かして、ミズナラはブナの「代理」の役割を果たしています。

たとえば、ブナは雪が少ない地域ではうまく育つことができません。そのため、東北地方太平洋側の北上高地など、寒冷ではあるものの積雪が不十分な地域では、ブナの代わりにミズナラが広大な群落を形成しています。
また、北海道の大部分にはブナが分布していませんが、そこでも森の優占種となっているのはミズナラ。北海道に行けば、いたるところで大規模なミズナラ林を見ることができます。

ブナは意外と繊細な樹木で、「適湿地」・「雪が多い」・「人間による伐採が少ない」という条件を満たした場所でないと森を作りません。もしミズナラがいなければ、この条件に合致していないエリアには森が出来上がらないのです。そう考えると、ミズナラの存在のありがたみがわかります。
ブナの分布が届かない場所には、僕が代わりに出向いて森林生態系をつくるよ……。やっぱりミズナラは、冷温帯の森の重要なプログラマーです。

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↑森に落ちたミズナラのどんぐり。野生動物の重要な食料源。秋にミズナラの樹の下に立っていると、頭上にどんぐりが落ちてくるのでご注意。2021年10月7日 奥入瀬渓流

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↑枝についている時のどんぐりはこんな感じ。愛らしいことこの上ない。2021年9月10日 青森県弘前市

<コナラとの識別>

ミズナラの親戚のどんぐりの樹に、コナラ(Quercus serrata)というやつがいます。コナラとミズナラは葉がよく似ていて、コナラーミズナラの識別法は樹木マニアの定番の話題となっています。以下に、コナラとミズナラの違いを列記します。ぜひ参考にしてください。

・ミズナラとコナラは、分布域が違います。ミズナラは冷涼な気候を好み、北海道・北東北では平地から、南東北以南では高海抜(おおむね標高800m以上)の山地に分布します。一方コナラは、温暖な気候を好み、関東以西の低地帯・丘陵帯を中心に分布し、北東北・北海道では少数派になります。
ただ、低地帯と山地帯の境界付近や、北東北の平地では、ミズナラとコナラが混生します。そういった場所では、ミズナラーコナラを識別する必要があります。
・一番わかりやすいのは、葉柄(葉の本体と枝を繋ぐ、茎のような部分)の有無で見分ける方法。ミズナラ(上)には葉柄がありませんが、コナラ(下)にはあります。

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・どんぐりでも見分けることができます。ミズナラのどんぐりは、コナラに比べて大ぶりです。また、ミズナラのどんぐりは殻斗(どんぐりの帽子の部分)を深く被りますが、コナラのどんぐりは殻斗を浅く被ります。


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