名無しの日
マッチングアプリに登録したあの日から数日、私はその彼とマッチングした。
彼は勇敢かつ穏やかな性格で、落ち込みがちな私を見るとひょうきんなことをして笑わせてくれる。きっとあのアプリを入れていなかったら出会っていなかったであろう人類だ。
楽しいことが好きな彼。笑うことが好きな彼。
何故私を気に入ってくれたのか分からない彼。
何を考えているのだろう、私を騙しているのだろうか。お得意の人間不信が様子を窺っている。
先日、彼から次に会うときは告白をすると宣言を受けた。部屋の掛け時計は秒針がスーッと進むタイプで、カチコチの音も聞こえない。
みんなが息を潜めていた夜だった。
そして曇天の今日を迎えた。バスに乗って彼の告白を受けに行く。
ふと、肩書きのない放りっぱなしのわたしは、今日からいつまでかは『彼の彼女』の肩書きをくっ付けて生きることになるのかもしれない、と思った。
いわば名無しのわたしでいられる、ひとまず最後の日。そう、名無しの日。
名無しのわたしはどうしたいんだろう。
誰のものにもなりたくない。人と人との関わりをもって、楽しく笑って自由に生きていたい。
きっと彼はわたしを自分の所有物として扱うつもりはないと思う。だけど私の頭には、付けられて見えないボールチェーンの重みがあった。
チェット・ベイカーの“Why Shouldn't You Cry”がイヤホンから流れている。
せいぜい『名無しの日』を楽しもう。
息をしてやろう。
曇天に向かって、わたしは今日もここにいると叫びたいような気分だった。
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