たんぽぽに願いを
1.どうかな。
「休んでいる時間は、このトラウマを解決するんでしょうか。」
そう訊くと医師はすこし困ったような、どこか哀れんでいるような、そんな表情でこちらを見た。
2.ふうん。
昨年無事に大学を卒業して職に就いた私だったが、たったの三ヶ月で休職を余儀なくされた。
めまいだ。職場に向かおうとすると途端にめまいがして胸が苦しくなり、その場に蹲ってしまう。職場を目の前にしてあと百メートルが歩けなかった。
その後心療内科を受診した私は“適応障害”と診断された。
なるほど納得と思う一方で、これはラベリングだと思う私もいた。何様かと思われるかもしれないが、私は自分自身の過去に“適応障害”なるものの原因があることを確信していたのだ。
自死を選びそうになった過去。自分なりに工夫をして、衝動的に人生を終わらせようとするのを必死に阻止していた過去。
振り返るのがずっと怖くて、見えていないふりをしていた。
しかし私は今、 “適応障害”と診断され、復職の目処も立っていない。
この状況を改善するために、今一度自分の過去ときちんと向き合い、上手に付き合っていこうと考えた。
かくして私は苦しみながらも数ヶ月をかけ過去と向き合い、それを言語化して医師に伝えた。
内容は大まかに以下の通りだ。
・自分には現在の職務に関することで過去にトラウマがあり、それが現在の私の障壁になっている
・トラウマは、私の適応障害なるものを引き起こした原因にもなっている
こうして診察は、冒頭の私の投げかけに至った。
3.(空白)
狭い診察室の底に鈍色の沈黙が溜まっている。ちょうど胃のあたりの高さまできた。
医師にとっては愚問だったろう。私も投げかける前から分かっていた。これは質問などではない。八つ当たりにも思える暴投だ。
それでも、投げなければならないと思った私がいた。
やがて医師は口を開き、声帯を震わせて音を出し始めた。声ってこんなんだっけ。私は何も言わず、静かにそれを聴いていた。
4.そうだね。
予定通り他の病院をハシゴしたあと、薬局に向かう道の途中で、おばあちゃん二人が笑顔で歩いているのを見かけた。お散歩かな。手を繋いで二人ともにこにこしているのがなんとも愛らしい。他人だというのになんとなく癒される。
───心療内科の医師は小さく息をつくと、他の患者の話を持ち出して私に聞かせた。人の自死に直面したらしいその人は、私よりも事態が深刻に思えた。
話し終えるなり医師は、「今は休まないと。動こうと思っても何もできないでしょ」と言った。
自死を避けたかった私は、押し黙ったまま鈍色に沈んだ。
5.そういうのでいい、そういうのがいい。
私も歳を重ねたら、おばあちゃんになるのかなあ。いずれ?いつか?運が良ければ?わかんないけど。なあんだ。おじいちゃんにはなれないのか。
そんなことを思っていた。暖冬とか言ってたのにいつの間にちゃんと春になっちゃったんだなあ。すごいなあ。
ふと、おばあちゃんになるための練習をしようと思って道に生えていたたんぽぽを撮った。花壇もあったけれど、なるべく生命力が感じられるものを撮りたかった。
私たちは確実に死に向かいながら生きている。
なんのためか。そんなこと誰にも分からない。過去の偉大な哲学者でさえも死ぬ経験をもたず、生をもった状態で「生きる」を唱えていた。
だからなんだとは言わない。私ごときが言えるはずがない。
それでも、生きるとは何か、いきものに平等に与えられる死とは何者なのか。それはこの世の誰にも分からないでいてほしいと思った。
6.たんぽぽ、わたしね。
あの人もこの人も、いずれは骨壺に入る。
私も、おばあちゃんたちも、医師も、お昼においしいコーヒーを淹れてくれた金髪メッシュの青年も。
おばあちゃんになりおじいちゃんになり、やがて骨壺に収まる。
たんぽぽ、君はかわいいな。
花壇に植わっていても、そうでなくても。本当にすごい。
たんぽぽ、君は、君が死ぬまで生きておくれ。
流されたり掘り返されたりすることなく。
私もきっとおばあちゃんになるから、そしたらまた写真を撮ろう。
もしそれが叶わなくても、どこかでたんぽぽを見つけたら今日の君を思い出そう。子孫かなと思いながら。にこやかに。
そうして綿毛になったら率先して種を吹き飛ばそう。春風よりも早く。雨に濡れる前に。
だからたんぽぽ、風が吹いたらどうかわたしを思い出してほしい。
死を感じながら、目を逸らしたくなるほどに煌めく生に囲まれていた、今日のわたしを。
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