そっか、だから好きなんだ。ー『星の銀貨』を読んでー
あの物語、あの歌、あの人のこと・・・
自分の好きなもの、大切なものには何かしらの共通点やパターンがあるはずだ。でもそれが何なのか、今まではうまく言葉にできなかった。
だけど最近、とあるきっかけから気づいたことがある。
もうそろそろ晩御飯の支度をしないといけないけど、例のごとく勢いに任せて書いてしまいたいのでお構いなしにPCを開いてみた。
さぁ今日も思考整理してみよう。
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きっかけとは、先日参加した「オンライン朗読」イベントだ。
Twitterのスペース機能を使った生配信の朗読イベントで、朗読の参加者は声優・役者・ナレーターなど声のプロを始め、このイベントで初めて朗読に挑戦するという初心者の方まで幅広かった。
イベントの主旨は、物語中のキーワードや共通点によってしりとり形式で繋いでいく「つなげ!ものがたリレー」というものだった。
参加のルールは、参加者は自分の前の出番の人の作品を教えてもらい、それを一読してみてのインスピレーションで作品を選ぶというシンプルなもの。
私が選んだ作品は、グリム童話の『星の銀貨』であった。
この作品を選んだ理由は、
前の出演者の朗読作品『ホレおばあさん』から・・・
・「金」というキーワードを抜き出し、金→銀、と繋げた(単純w)
・いずれも主人公が「可哀想な女の子」で、最終的には善い行いにより幸せ(お金持ち)になるというストーリー性が共通していた
という”しりとり”のルールに則ったもののほかに、以前読んだことがあって「この話がなんとなく好きだったから」という理由があった。
多分、この手の話はありふれているし、好きな人は多いと思う。
いわゆる、シンデレラストーリーってやつかな・・・。
『星の銀貨』は、A4サイズで2~3ページ。
朗読するにもゆっくり読んでも4~5分くらいとごく短い物語だし、典型的で大人にも子供にもわかりやすい話だと思う。
でも、せっかくこの作品を選んだからには、どうしてこの話が好きなのか?どんな魅力があるんだろう?と考えてみたくなった。
(イベントでインタビューされる可能性も考慮して、だったのだけど…w)
考えてみて、わかったことがあった。
ただ単に、可哀想な人が幸せになって「良かったね!」とか、良い人が幸せになって悪い人が成敗されて「よしよし」というわけでもなかった。
多分それは、「可哀想な人」は私にとって他人事ではなかったからだ。
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可哀想な人には色々あると思う。
親に捨てられたとか、何らかのハンディキャップがあるとか、信頼していた人に裏切られて借金を背負わされたとか・・・
そういう可哀想な状態に、自らの行いによって陥る人もいれば、そうではなく善人であったのに仕方なくそうなってしまった人もいると思う。
私は子供の頃、他人の家庭を見て、優しい両親を見て、
と、おそらく嫉妬していた。
当時、頭の中では、
と思っていた。
今思えば、自分との違いを理解できない苛立ちや、羨ましさからくる嫉妬だったんだと思う。
成長の過程で他人と自分との違いを知るうちに、私は自分を「可哀想」と思うことで自分自身を慰めてきた。
でもただそれだけで、それに甘んじて「行動しないこと」への言い訳にしていたに過ぎない。
『星の銀貨』の少女のように、他の人に分け与える気には到底なれなかった。
と思っていた。
だから実際には「可哀想」というより、「自己中心的で傲慢な人」だったかもしれない。
と、自分の話をすると長くなるのでこの辺にして・・・
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とにかく私は昔から、「可哀想な人」が主人公の物語が好きだった。
今までは、その理由について、
と説明していた。
人が人に優しくするにはウラがある。
それは、利用しようとしているとか、好かれようとしているとか・・・。
だけど、自分自身が危機的状況にあるのに他者へ手を差し伸ばす人には、ウラなんてあるはずがない。そこにはきっと、愛とか善意しかないはずだ。
人を信用したい。でもそれが怖いと思ってしまう私には、そういう話こそ嘘がなくて信用に値する。
今までずっと、そういう理由で好きなんだと思ってきたけど、今回の『星の銀貨』をきっかけに、少し考えが変わった。
「物語として信ぴょう性があるから好き」という側面ももちろんあるけど、それだけじゃない。
多分、
「その経験があったから、その人は幸せになれた」
ここが好きだったんだ。
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不幸な生い立ち、可哀想な境遇、人と違うという事実。
自分の力ではどうしても変えられないことはある。それに対してどう向き合うかは、人それぞれだ。
自分の心に蓋をして、なかったことにする人。
「自分はこんなに辛かったんだ」「自分ほど可哀想な人はいない」と他人に話して聞かせ、慰めを乞う人。あるいは自分で自分を慰める人。
「その経験があって今がある」と、逆境をバネに立ち上がる人。
過去を否定すれば、今の自分も肯定できなくてつらい。
自分の生い立ちを話せば「不幸自慢だ」「悲劇のヒロインを演じるな」と嫌われる。
つらいものはつらい。ポジティブに変換できるほど今の自分は強くない。
過去と向き合おうとするとき、どうしてもつらくなる。
でも、もしも「今の幸せはあの経験があったからなんだ」と思えたら、どんなに救われるだろう?未来に希望を持てるだろう?
そういう前向きな気持ちを、『星の銀貨』は与えてくれた。
あの少女は、お母さんもお父さんもいなかった。身につける衣服とパンひとかけ以外には、何にも持っていなかった。
だけど、貧しくて飢えた男や泣いている子供に、何もかも分け与えることができた。
それは、少女が生まれながらにして強い精神力や優しさを持っていたからではないと思う。
なのになぜそれができたかと言えば、少女自身がひとりぼっちで寂しくて、お腹が空いてたまらなくて、寒くて凍える思いをした経験があるからだ。
だから、その人たちの気持ちがよくわかったし、何をしてあげるべきかもすぐに判断できた。
可哀想な経験が、少女の心を育てた。
自分が経験したからこそ、誰よりも人の痛みのわかる人間になっていた。
「彼女は何も持っていなかったけど、心は慈愛に満ちていたんだ」と、私は思って感動した。
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どんな経験もいつか、「無駄じゃなかった」「これで良かったんだ」と思えるときがきっとくる。
そう思わせてくれる物語、言葉、人が、私は好きなんだ。
このことに気づけてよかったな。
最後に、一人ぼっちでつらいとき、何度も何度も励まされた大好きな曲の歌詞を紹介します。
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最後まで読んでいただきありがとうございました!
また、”思い立ったらすぐ”記事にします(*´ω`)ノ✨✨
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