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Weekly Journal (11/10-11/16)

数日遅れてしまったけれど、先週の振り返りを行なっていく。ようやく大学進学を受け入れながら、日常に戻っていくことができているような感覚がある。合否決定後も何かに追われている感覚は持続しており、精神的な焦りを感じていたが、やっと自分のペースを取り戻すことができた。未来を楽しみに思う、この心情を忘れずにいたい。

自分の立ち回り方

結局、自分の立ち回り方と進学前の時間の使い方について、どうしたものかとずっと考え続けている。この時間の使い方は生産的だろうかとか、これが11月の上旬に大学受験が終わった人の過ごし方だろうかと不安に思ったり、いや今は一旦ここ数ヶ月間の怒涛の日々に終止符を打つために休むべきなのでは?と考えたり。とにかく、雑念というか方針があやふやで自分でも心配になる。昨日は体調を崩してしまったし、季節の変わり目で外も内も騒がしくなってきた。そろそろ苦しみすぎた2024年が終わる。それでも、年内に片付けることはそれなりにあるからどうスケジューリングすれば良いかしっかり考えて行動に移したい。
今後の方針を決めていく上で今一度自分に問いかけていきたいのは、人に情を持ちすぎる必要はないのではないか?ということ。ある教育プロジェクトに誘われこれまでのスキル・ノウハウを活かし取り組もうとしているが、やりたいことベースというよりは公的な眼差しでの人助けに過ぎないので、心が違うと叫んでいる。時間を向けていく方向性が違うのではないかと、今ならまだ軌道修正が効く。やるなら、今だと思う。メンバーから外れるのなら車輪が本格駆動し始める前の今がチャンスだ。決断しよう、取捨選択、選択と集中。ドラマ:無能の鷹を見ていて、主人公がその場を乗りこなしつつ、自らを努めている姿を見てなんだか勇気をもらった。
未来は全てが予測不可能でそれが人生の醍醐味である以上、もっとやりたいことベースに選択を繰り返そう。肩書きとか所属先とか、特段、無意味で何の指標にもならない。むしろ、自分のやりたいこと・関心に忠実に考え続け行動した先の評価に"成解"があると思う。まずは一人で、”かた”を作り、情報収集する過程で洗練された"かたち"を生み出していくべきだ。行動は慎重過ぎなくていい。むしろ、大胆に。けれど、本当に関心のあること以外には手を伸ばさない勇気を持たなければならない。もう二度と間違えないようにしたい。

東京都都市計画審議会

本年最後の東京都都市計画審議会が開かれるとのことで、傍聴すべく都庁に出向いた。元々、下北沢の再開発反対運動の変遷を見ていても審議会への印象は良いものでなかったが一次情報として自分がどのようなことを考え、感じるか確かめるべく参加した。

正直、終始状況を掴めずにいた。殆ど議論が交わされず、議員のちょっとしたミスで暴言が飛ぶような現場で、私はこの場は一体、何を目的に設定された議会であるのだろう?と疑問を募らせる他、選択肢がなかった。

担当議員が計画区域に対する端的な説明を行い、その後、採決が採られる。今回の議題は以下の3つであり、いずれも承認された。

①多摩都市計画、八王子都市計画、日野都市計画及び町田都市計画下水道
多摩川右岸南多摩流域下水道
②東京都市計画地区計画 六本木・虎ノ門地区地区計画
③東京都市計画地区計画 広町地区地区計画

付議予定案件

過去の議事録を見ても、多くが承認に至っていることが分かる。

この場は議論でも、審議でもなく、まるで承認委員会か?と疑うほどに集う関係者の意見はなく、説明された内容をただ受理しているように見えた。むしろ、私の通う高校の授業中のディスカションやそこにある雰囲気の方が話し合いの場として機能しているように感じられた。

東京都都市計画審議会は、都が都市計画を定めるときに、都市計画法に基づき都市計画案を調査審議する機関です。
都市計画は都市の将来の姿を決定するものであり、住民の生活に大きな影響を及ぼします。このため、都市計画を定めるときは、行政機関だけで判断するのではなく、学識経験者や議会の議員、関係する国の機関、区市町村の長などから構成される審議会の調査審議を経て決定することとなっています。

東京都都市整備局HPより引用

一方、左翼寄りの議員が、各計画案に対して街の歴史的価値や反対派の意見を汲み取り、主張を展開する姿は印象深かった。六本木・虎ノ門地区地区計画では、経済合理性を追求した街のあり方について疑義を唱え、江戸時代から続く市民の生活景や街の変遷について説明し、どれだけ地域住民に親しまれ愛されてきた街並みであったかを強調した。説明担当者はそれに対して、「東京の都市再生に貢献するものとして総合的に評価をしている」との一点張りであり議論が成立することはなかった。殆どがこの議員と説明担当者との打ち返しで他の関係者から何か意見はないのだろうかと不思議に思った。

土地には全てに歴史的背景があり、痕跡が刻み込まれている。しかし、多くの場合、それが現行の容積率いっぱいの均質的なビル群を乱立しない理由にはならない。街は蠢く動態であり、変わり続けることこそが都市であるからだ。持続可能な街づくりを目指すためには、そのコンテキストをどう汲み取り、現時点ではそこにどのようなナラティブを持つ人が生活を営んでいて、それでは何を残し何を変えるとどんな未来が描けるのかを問い続けなければならない。その提案まで行わなければ審議の場において説得に欠ける。

(しかし昨日、ある街づくりフォーラムなるものに参加して、ただの提案では住民に寄り添っているとは到底言えないことを痛感した。ある大学院研究チームの住民に向けた研究発表件提案会だったが、複雑な単語と数値で示された提案には住民と共同して街を創り上げていく姿勢が見られなかった。あくまで第三者として研究調査して提案まで行う形式は学術論文としての優位性はあるのだろうが、寄り添い方には別の伝達方法を模索するのが良いと思う。)

都市開発推進を否定する立場に私はないが、現行の再開発でない別の方法論、"第三の道"を目指すべきだと考えている。都市計画審議会がなぜあのような実態になっているのか疑問が多いため、それに関しては集う人の属性や立場を分析しながら考えていきたいと思っている。
保守的に今の街を守り抜くことも、それを中和させるような形で切り分けていくことも理想論に過ぎないが”第三の道”実現に向けた方策を模索していきたい。

長野県小布施町への訪問

小布施町をフィールドに、東京大学とNTT東日本、小布施町が共同して開講されたミライ構想カレッジに参加している。本プログラムは約半年間の中長期的な課題解決型のプログラムであり、来るべき2050年に向けた街のあり方について模索することを目的に立ち上げられた。

唯一の高校生として本プログラムメンバーに参加しているが、受験の関係で参加が滞っていたので先週末に初の小布施訪問を果たした。

小布施町は街づくりでは成功事例として名を馳せている。北斎と栗と花のまちと呼ばれる小布施は1980年代に"町並み修景"という言葉が生まれて以来、市村良三さんと市村次夫さんによって小布施方式と呼ばれる方針で、街づくりが行われてきた。街の姿も広場と路地が入り組んだ構造になっており、和洋折衷というか2つの流派が織り交ぜながら生体を成している様に感動した。

本プログラムにおいて、共同体チームに所属しており、私はその中でもオーラルヒストリーの質的調査を通じて住民のナラティブを紐解きたいと考えている。<場所>は人の想いで創られていくのではないだろうか?という仮説がありこれに応答する形で展開していけるようなプロジェクトにしたい。

自らの傾向分析

長野から帰宅のバスで、最近の自分は常にイライラしているがどうすればそれが解消されるのかずっと考えていた。将来への不安感や何にも追われていないのに追われているイメージとか、街への違和感や社会の構造への怒りは到底私が対処できることではないのに神経を尖らせて感情で対応している自分にやるせなさを感じるなど。

そこで4象限で考えてみると自分の状態が整理でき、ネクストアクションが掴めたのでこの実践は案外良かったのかもしれないと思い始めている。

私の行動の原力は憧れと、怒りを発端に築かれていくことの方が多い。そこで自分の状態を4つの状態に分類した。

A: 憧れに好影響を受けながら、変えたい対象に対して努力することができている状態(=最も前向きで行動に持続性がある)
B:憧れを持ちつつも、変えたい対象に対して向ける努力が自己犠牲・利他性に依存している状態(=半ば前向きだが行動に持続性がない)
C:社会への怒りに力を任せつつも、変えたい対象への努力が自分本位であり充足感を抱いている状態(=半ば後ろ向きであり、行動に持続性がある)
D:社会への怒りを持ちつつ、変えたいと思う対象への努力を放棄している状態(=最も後ろ向きであり、行動が伴うことがない)

DからAへ移行するのは容易ではない。D→C→A、D→B→A、の方向でAへ持っていくのがこれまでの常だった。例えば、怒りを抱きながら理想に昇華していく段階で無気力になっている場合、もっと悪い状態をみて絶望をして、次へのステップを整理するか、理想状態に近いプロトタイプ又は近似事例を見て触発されるように這い上がるか、2択がある。より深く絶望するか、微々たる希望を持つかでパターンが変わってくる。
自分の傾向を整理して自らに知っておくことは今後のためにもなるから、今後もより分析して自分のイライラと付き合っていきたい。


今週は、やるべきことに集中して、タスクを割いていこうと思う。勝手気ままに過ごすのも大事だが、そろそろメリハリをつけて高校生活を終えるための準備に時間を充てていきたい。
直近では、前籍校の先生に合格報告をして、私が選択した道は間違っていなかったことを伝えたいと考えている。


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