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下北沢の再開発にみる反対運動:"場所"に生きる人々

2022年9月〜12月の3ヶ月間、私は親元を離れ、東京・下北沢にある居住型教育施設で暮らしていた。目にしたのは、 再開発後の洗練された景観と人々の穏やかな暮らし。しかし、そこで知ったのは、かつて小田急線が地上を走っていた時 代の街並みとそれを保全しようと立ち上がった反対運動「Save the 下北沢」の存在だった。

2003年12月、大規模な開発計画に対抗して、住民・商業者・来街者らを中心に結成されたのが「Save the 下北沢」だ。 開発に反対する人々をインターネットを介して集め、運動体を構築した。幾度と重ねた会議の中で互いの主張を確かめ合 い活動方針を決定していった。「Save the 下北沢」の基本的な主張は、「補助54号線、区画街路の見直し、修復型のまち づくり」であり、その背後には下北沢の雑然とした街並みから生まれる文化保全の姿勢がある。

調査を重ねる過程で「Save the 下北沢」のリーダーを務めた下平憲治さんがインタビューに応じてくださった。 「下北沢という街の生態において、絶対に失ってはいけないのは、歩き回って楽しめる街である、ということなんです。そ れだけはこの街の良さとして守っていかなければならない。」

対立を続ける一連の紛争は、2005年2月5日付の『日経新聞』の記事で「防災」vs「文化」という二者択一の構図で紹介 された。結果、「Save the 下北沢」は「現状の街の問題点に目を向けずに、街を冷凍保存しようとしている運動体」として 捉えられるようになる。しかし実際にはマスコミが示すような二元論に回収されるものではない。反対派が抱く疑念の1つ は利便性や安全性の向上に偏りすぎた開発方針にあった。利便性の追求だけでは、人々が街と繋がり合う機会を失い、 無機質な<空間>が広がる危険がある。更に、大規模な開発により、中小規模の商店と地域住民が築いてきた社会的な繋がりも失われてしまう可能性がある。生業も生んだ文化の総体が壊されることは街を取り巻く諸集団の抱える下北沢の価値を脅かすことになり得るのである。

その後、反対派は有識者を交え開発計画案の新しい構想を策定し行政に働きかけたが、2006年10月、水泡に帰す結果となった。世田谷区都市計画審議会は地区計画を承認、同日に都も一連の都市計画に対し事業許可を下した。反対派の活動に終止符が打たれた瞬間であった。

しかし、声を上げ続けた運動主体の主張が結実する出来事が起きる。反対派が幾度も提案を重ねたラウンドテーブルが、区によって開かれる市民のための議論の場、「北沢PR戦略会議」として実現したのである。街の危機に対する発言 権の獲得に約30年間の長い歴史があったからこそ、一方的な議論に終始せず、自分たちの理想の街のあり方を実現させるための多様なニーズを掘り起こし、共存させるための思索が取り入れられたのだ。

小田急線路跡地の活用方法を中心に特筆すべきは、2019年に下北線路街空き地がオープンスペース「みんなでつくる自由な遊び場」としてが開かれたことである。駅前広場を活用したオルタナティブな空間活用が施行された。これは「Save the 下北沢」という活動主体が街に及ぼした好影響であり、今日の下北沢を形成するに等しい変革と言っても過言ではない。そんな下北沢地域は近年、街を愛するプレイヤーが公共空間を多様に活用する先駆的な良い事例とされる。

駅前ロータリーの完成を前に、長年続いた再開発も幕を閉じようとしている。反対運動の主張は副次的に回収されることになったが、恐らく運動主体にとっての本望とは逸れるだろう。しかし、今の下北沢が市民主体の公共空間として活用 可能な余剰が生み出されたのは、声を上げ続けてきた証だと言える。下北沢は古くから、サブカルや演劇、古着屋などが 交じり合う文化の街であるが、新しい公共空間の活用が施行される今、街の中で新旧のひしめく新たな化学反応が生ま れている。それが互いにとっての<場所>となり、<場所>によって人々は下北沢に溶け込んでいく。

反対運動を行った人々は今でもなお下北沢への愛着を強く持つ。「反対運動」という形で結束し、粘り強く活動を続けた 力は人を通して繋がり合い、次世代へと語り継がれるだろう。人々の思いは再開発後の新旧入り混じる下北沢で更なる 魅力を発信し、発展していくに違いない。

「Save the 下北沢」がもし仮に数十年後の再開発で立ち上がる日がきたら、それはまた新しい<下北沢>に生きる人々 によって築かれた<場所>であり、それらの文化的背景を前に人々は闘っていくのだと推察する。


参考文献

堀川三郎,『町並み保存運動の論理と帰結: 小樽運河問題の社会学的分析』2018,東京大学出版会
堀川三郎,『場所と空間の社会学 都市空間の保存運動は何を意味するのか』,2010
三浦倫平,『「共生」の都市社会学 下北沢再開発問題のなかで考える』2016,新曜社
小柴直樹,『人をつなぐ街を創る』2022,花伝社
橋本崇/向井隆昭,『コミュニティシップ』2022,学芸出版社
保坂展人,『国より先に、やりました 「5%改革」で暮らしがよくなる』2024,東京新聞
三浦倫平/武岡暢,『変容する都市のゆくえ』2020,文遊社

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