【10/10の日記】Genius, Love and 南瓜の煮物。
イミテーション・ゲームを見た。この映画を見たことがある人だけ読んで下さい。酒を飲んでいるので、論理が通ってない箇所や日本語の使い方がおかしい箇所があるかもしれません。それでもよろしければどうぞ。
辛い。
愛が報われない物語の辛さよ。悲しい。
自らの生き方を完全に否定されたのだ。生まれ持った性質だけで。LGBTと歴史を同時に語る物語だとそういうことが多いんだろうな。いずれにせよ辛い。クリストファーと添い遂げられなかったとしても、周りが干渉しなければアランには愛とともに生きる道があったわけやん。辛い。一人の人間が、自分を殺すまで追い詰められたことがただただ辛いです。国に使われ、自分の研究を否定され、それでも解を突き詰めて多くの命を救ったのに、結局は生まれ持ったものを理由にして殺される。存在を否定される。自分を殺さなければ耐えられないほどのストレスに曝される。こんな仕打ちがあって良いのか。ただしんどい。幸せになってほしかった。両思いだけが幸せへの道じゃなかったとしても、性愛の喜びだけが彼を救うというわけじゃなかったとしても、物語の中の彼は救われなさすぎる。
同性愛が認められないのはおかしいというのが世間に広まっているからこそこの物語は現代の私達にウケる。”一昔に起きた同性愛者の悲恋”として捉えられる。私は同性を愛したことがないから、それがどれほどしんどく、辛いものなのか身を持って体感できていないけれど。今までずっと認められてこなかったカテゴリだが、現代では多くの人が同性を愛する権利を認める。好きな人を好きであることに誰が文句を言えようか。当然の権利だ。でも私は特段世論に影響を受けないわけではないから、論理的に正しいことも世間が否定するのに合わせて否定してしまうかもしれない。どうやったら本当にニュートラルな目で他人を見られるのだろう。例えば、まだポリアモリーを訝る目で見ていたりする。傍観しているだけだけど、彼らの行動をしっかりと理解するためにはもっと時間が必要だと感じる。時間だけじゃなくて内省とか一人で考える時間も。
あのチューリングだったとか、機械と人間の境目に起こることととか、(自分の中での)性愛の位置づけとか。またシラフのときに更新します。それでは。