美女になれずとも
私は作品を作る時、人の顔を描くことが多い。
少年少女を描いたり、大人の女性を描いたり、、。
下描きの段階では気に入った表情が描けるまで何度も描き直す。目や鼻、口を大きくしたり、小さくしたり、唇を厚くしてみたり、額を広くしたり狭くしたり。
色々いじくり回して丁度良い美しさの顔に仕上げるのだ。
美しいって何なんだろうか。目が大きい人は絶対美人!とか鼻筋が通っていたら美しいとする。みたいな明確な判定ができない。失礼な事を言うと目が大きい不美人もいるだろうし鼻筋が通っていても何処となく美人とは遠い人もいるだろう。
「この人綺麗だな」と思っても、次会った時はそう思わなかったり、普段別に美しいとも思わない友達がとても美しく見える日もある。コンディション問題。
しかも美しさの基準は時代や国で異なる。年齢によっても似合う美しさは違ってくる。もっと言えば人間一人一人の美しさの概念は違う。更に、その概念は作り上げられてはすぐに壊される。細胞のように繰り返される破壊と構築、、、美はゆらめく。なんだか永遠に捕まえられないような気がする。
若い頃は目が大きかったらなぁ、、とか、鼻が高い人になりたいとか、そういった分かりやすい変化があれば美人になれるのだと信じていた。整形でもすっか!みたいな誰でも一度は思い付くようなことを考えたこともある。
でも大人になってくると実際目が少しばかり大きくなったとて大した効果がないだろう事、目を大きくしたら鼻を直したくなるだろう事、色々な事が分かってくる。
決して整形に反対とかではないし、やりたい人はどんどんやればいいとすら思うが、生まれ持った顔というのはたとえ美人ではなかったとしても一応収まり良く出来ていると思う。少しだけいじるとその絶妙なバランスを欠いてしまう気がする。
大人になってから私が美しいと感じる人々はどちらかというと顔の造形があーだこーだというより、仕草や姿勢、肌の美しさ、知性と品格、という気がする。そうすると顔もその人に合った形で美しくなる。顔の造形のいい不美人を沢山見たからだろうか。
美容に気を使いまくる現代でsnsの美容広告に踊らされず生きたいね。