惑星のかけらのかけらnote 003
「壊れた扉の鍵はどこに?」
最初にこの物語が浮かんできたときに鍵となっていた言葉です。
崩壊しつつある世界 それを止めるためにはなにをすればいいのか。そのことが大きなテーマでした。
旧暦大晦日の大掃除というわけではないのですが、古い物語2つのバージョンをすべてUPしました。
惑星のかけら 2004 https://note.mu/harunanaoko/m/mc50a7e571325
惑星のかけら 2011 https://note.mu/harunanaoko/m/m5b1947fcd977
この物語に登場するあのひとは、たくさん歩きます。
あのひとは、なぜあんなにも歩かなければならなかったのでしょうかね。
なにも食べず、自分自身と向き合うことを拒絶して、あの場所を目指して歩く。
あのひとがたくさん歩いているのに、わたしが歩かないわけにはいかないので、わたしも一緒にたくさん歩きました。その中で、わかったことがたくさんありました。
この島に生まれて普通に育てられていると、本来は大人になるために必要な、自分自身と向き合う機会は与えられずに、ただ身体だけが大きくなってしまうような気がします。
身体が大きくなるとともに広がるぽっかり空いた穴は、自分で埋めなきゃならない。だけど、その穴に本来存在するはずのものの育み方を、誰も教えてくれなくて、社会からは「そんな穴なんてないのだよ」と言われて、もうもがくしかない。この島に生きる多くの大人もまた、その育み方を知らないから教えようがないのよね。そうやって欠落しながら、穴を抱いたまま、いくつかの世代が続いてきてしまっている。
多くの人はその穴を塞ごうと、さまざまなものを穴に詰めていきますね。だけど、その穴は外からのものでは埋まらない。外からのものでは塞ぐことはできない。だけど、なにかを入れていかないと耐えられなくて、こぼれ落ちてもこぼれ落ちても入れつづけている。
あのひとにとって、あの日々は、ある種の通過儀礼だったのだと思います。生まれ落ちて置かれた場所でもがき苦しんで。そこから逃げ出すために、全部投げ出すために夢に見た場所を目指して船に乗ります。
それは、あのひとにとっては、埋めるためのものではなくて、自分自身を捨てるための行動でした。
わたしも実際に、港から龍宮の海まで3日間かけて歩きました。
当時は大阪に住んでいたのだけど、お話しのそのまんま、フェリーで海を渡り、港から歩いていきました。2003年の2月。はじまろうとしているイラク戦争を止めたいひとたちが、平和への行動をさまざまに起こしている時でした。わたしは米軍基地のフェンス沿いに、ただひたすら歩いていました。
答えなんてわからないから、ただただ一歩一歩。
いろいろなことを思いながら、一歩一歩。
あのひとが旅を終えて、わたしはこの物語を書き終えて、わかったことがありました。
扉には、鍵なんてかかっていない。
鍵がかかっていると信じ込んでいるから、この扉の向こうに行けないのだ。
扉は閉まってはいない。開いていないと思い込んでいるだけだ。
壊れた扉も、かかっている鍵もない。
すべてはひらかれている。
それを認めようとしていない自分自身がいるだけだ。
そのことに気がついてしまったら、もいちど目をつぶって生きるか、目を開けて生きるか、選ぶしかないんだよね。
ずっと抱いてきたこの物語をインターネットの海にすべて放流し終えて、わたしもつぎの一歩を踏み出そうと思います。
あたらしい年のはじまりにね、ちょっとこういうことを書きたくなりました。
あなたの日々が、よき日々でありますように。
わたしの日々が、よき日々でありますように。
あなたがいつもしあわせでありますように。
わたしがいつもしあわせでありますように。
それらがあなたを満たして、わたしを満たして、この惑星がしあわせな惑星になりますように。