FILE17 天と地の交歓 45
「死にたいっていう気持ちがなくなることはない。それはきっと生きている限りずっとつきまとう感情で、そのことと同じくらいの強さで生きたいっていうおもいがあるのだろう。今でも、手首をかききって血を吹き出させる想像をする。そんな想像をしてはダメだダメだってずっとおもっていた。けれど、そう思うことも自然なことだと受け入れられるようになった。
死への強烈な渇望は確かに存在している。けれど、それ以上の強さで生きていこうと思えるようになったから」
私は浮かんできた想いをノートに書き殴った。この旅に出かけるとき、芳明と一緒に入ったコンビニでノートを買った。すべての感情を、浮かんでくる言葉を、漏らさずにそのノートに書き記してゆこう。
はじめてこの島に降り立った時の私には「なぜ、なぜ」というそんな疑問しかなかった。「どうして私の身にだけこんなことが起こるのか」と、被害者として、受け身での視点でしか世界を眺めることが出来ていなかったから。
龍宮への道を前に進みながらも、あのときの私はただ過去だけを見て歩いていた。
あの日と同じように、私は港から歩きはじめた。雨が降ったり止んだりする良好とはいえない天気だった。けれどやさしく降る雨や吹きぬけてゆく風が心地よかった。
ガジュマルの街路樹が等間隔に延々と続いている。歩道をはさんでひたすらにどこまでも続いている基地のフェンス。コンクリートさえも崩壊させる根の威力を封じ込めるように、まるでその樹の生命力を断ち切るように街路樹は丁寧に枝を切り揃えられている。基地と並ぶ58号線の街の風景。アメリカと日本に支配される沖縄は、あの偉大な樹でさえも飼い殺している。その姿が自分自身であることに気づくこともないままに。
モンシロチョウがひらひらと飛んでいた。歩道の横にはリュウキュウセンダングサが生い茂り、右手にはハイビスカスが植えられている。この景色は何も変わっていない。あれから、あの日から私は一体何を学んでこれただろうか。歩くということは、内にはいるということでもあるのだろう。私の中でポツリポツリと点在していたいろんなことがつながっていった。私は基地を横目に見ながら、内を見ながらひたすら歩いてきた。
歩き始めてから3時間くらいは経っただろうか。足が痛くなって、身体もつかれてきた。けれど、この歩みこそが私がなにかをつかむことのできる旅なのだと思うと足をとめることなんてできなかった。
右手には広大な基地が延々と続いている。黒人や白人、米兵たちとすれ違いながら。しばらく歩くとまた強く雨が降ってきた。先を急ぎたかったけれど、仕方なく店先で雨宿りをすることにした。
「少しつかれたかな」
階段に座りって頭を垂れてうなだれた。出発からはもう5時間ほど歩いてきた。それでもフェンスは途切れることなくどこまでも続いていた。ふと顔をあげると、道をはさんで基地の林の真上に虹が出ていた。
「米軍基地に虹が」
自然に涙があふれてきた。無条件にうれしかった。曇り空に差し込むかすかな光で、どんよりしたグレーの雲の上に七色の虹がかかっていた。ぼんやりとうっすらと、それでいてすべての色を内包する虹。それはこれまでの疲れもすべて吹き飛ばしてしまうほどの美しさだった。
胸の中に射し込んできたあたたかい光と共に私は再び歩きはじめた。いろんなことがこみ上げてきて、泣けて泣けて仕方がなかった。ひたすらに感動しながら、歩いた。涙が止まらなくて、感動が止まらなくて、いつのまにかしゃくりあげるように泣いてしまっていた私は仕方ないから走った。何時間も歩き続けてきたけれど、それでもエネルギーはあふれていた。祈りと共に、大きな存在と共にあることを感じながら。泣きながら走りつづけた。
私がはじめて沖縄の夜を過ごした公園に到着した。大きなショッピングセンターの裏手の大きな公園。公園を通り過ぎて私は堤防を目指して歩いていった。今日の旅はそこで終わりだ。堤防に到着するとまた雨が降ってきた。ノートにひたすら文字をつづる。字がにじんでゆく。それでも書き続けよう。この想いのすべてを。