029
FILE 勇気
一体、なにが起きているんだろう。
真実とは、なんだろう。世界って、なんなのだろう。
わたしのこころが破壊を望んでいて、それが形になっているのがこの世界だとしたら。わたしはそれをどう償えばいいんだろう。
キヨさんのおうちにたどり着くと、キヨさんはごはんを作って待っていてくれた。
「わたしはなにをすればいいの? 世界の崩壊を止めるために、わたしはなにをするべきなの?」
「まずは、落ち着きなさい。あわてたって、なーんもわからんよぉ」
おかずが冷めるからまずはごはんだと、食欲なんてないわたしたちにキヨさんはお箸を手渡した。
「お前たちがさ、なぜそんなものを見ることになったのか、考えてみればいいさ」
「キヨさん、わたしはその教団を探し出して、陰謀を止めなくちゃならないの。わたしはなにをするべきなの?」
野菜炒めを食べながら、なぜか世界を救う話しをしていた。海と木々に見守られた、このあたたかな島で。
「なぜお前にその夢が来たのだと思う?」
「それは、止めることができるからよ。止めて欲しいと願う存在があるからだわ」
「それは、神さまのことかい?」
「神さま?」
キヨさんの言いたいことは、その一言で伝わってきた。
「まずは、噛めぇ(食べなさい)」
そう、いつだってキヨさんはシンプルだ。
「神さまの命令で破壊をしようとしている教団に、神さまの命令でそれを止めるための説得をするのか? あんたが? 自分の神さまの正義を振りかざして?
よく聞く話しさぁね。使い古されて、もうこんな話映画にもならんさ。そんなことが、これまでにどれだけ繰り返されてきたわけ? ん?
どれだけの人が死んだ? こっちの神さまが正しくて、こっちの神さまは間違っていて、そんな言い合いでどれだけの涙が流れた?
神さまを自分の都合で使い分けて人はそんな偉いわけ? いつから? 人を裁く権利を、人はいつ持ったかねえ?
おばあは、もうあきあきさぁ。そんなふらーだったかね? いやー(お前)は」
「じゃあ、どうやって止めればいいの? キヨさん教えてよ。わからないよ。」
「泣いてたって、なにもわかりはしないさ。ほんとうに知りたければ、自分に聞くしかないさ。
夢はお前になにを語りかけている? 外に答えを探したって、なんにもみつかりはしないさ。あんたの世界は、あんたのこころで出来ているんだよ。この島でそれを知ったさ、ほんとうはもう知っているでしょ?
神さまは、あんたの中にいるでしょう? あんたの中に、あるでしょう。ニライカナイは。
今できることは、自分としーっかり話し合って、そこからあんただけの道を探し出すことさね。外に向かって行動していることで、自己満足にひたっても、世界はなんにも変わらないさ。
じゃあ次は? なにをするわけ? ほんとうに大切なことを大切にして生きると、あんたは決めたんじゃないのかぁ?」
「なにが大切なのか、もうなにもわからないよ」
「自分自身と向き合うには、ほんとうに強いこころが必要になる。お前にはその勇気が、あるか? 」
「キヨさん」
「わからなくなったのなら、全部書いてみたらどうか? お前の身の上に、なにが起きたのか。なにを感じたのか。お前がそのたびに、なにを選んで生きてきたのか」
すべてを書き記す。そうすることで、何が見えてくるのだろうか。
キヨさんはほんとうにどんなときも変わることがない。わたしの前におかずの皿をどんと置いて、ニカっと笑った。
すべてを記して、すべてをあらわにする勇気。わたしに問いかけられているのは、そのことだった。
その勇気が、わたしにはあるのか。
わたしはマッキントッシュの前で大きく深呼吸をした。画面に映り込んでいるわたしを見つめて、わたしは自分自身へと語りかけた。
「お前には、その勇気があるか?」
「ほんとうになんだってやってみせるよ、世界の崩壊を止めるためなら」あの洞窟で、わたしはそう答えた。
それはいつだって考えてきたことだ。この世界が幸せであるために、わたしに何かができるなら、なんだってやりたい。わたしはいつだって、そう答えるだろう。
でも、その方法が、自分と向き合うことだなんて。
やっと、世界の成り立ちがわかりはじめた気がする。そのもつれを解いてゆく方法のようなものが。
窓の外に目をやると、白黒まやーがお庭で丸くなって眠っていた。やわらかい日差しが木々を輝かせ、風は葉を揺らしている。流れてゆく雲、その隙間から顔を覗かせる深く青い空、庭に咲く名も知らぬ花たち。
この満ち足りた瞬間を、しあわせと呼ばずになんて呼ぼう。胸の中には、愛が広がっている。それは、底のない、隔たりのない、すべてのものとつながっているおおいなる力だ。
目を開いて世界を眺めれば、わたしは光で満たされる。そして目を閉じれば、わたしの中は闇で満たされる。深いやすらぎに満ちたその闇がわたしを癒し、次に目を開けるときまでわたしを慈しむ。
いつも、どの瞬間も、この地球やすべてのいのちとつながっているのだと、そのことをわたしが忘れさえしなければ、わたしの中で光と闇は融和されて大きな力を世界に与えてゆく。
目を閉じて、大きく深呼吸をくり返し、わたしはキーボードに指を置いた。
「わたしには、あります。すべてを書いて、そして向かい合う勇気が」
そっと目を開いたとき、わたしの指は文字を打ち始めた。
芳明の風景
「芳明、わたしはしばらくキヨさんの家にいる」
「どうしたの? それなら僕ももう少しここにいるよ」
大きな瞳を輝かせながら彼女は首を横に振った。
「ひとりでやりたいことがあるの」
僕を真正面から見つめると、彼女はそういった。
これからなにをする気なんだろう。まさか、もっと過酷な祈りをささげるのか? 僕のところにちゃんと帰ってくるのか? それとも、またどこか僕の手の届かないところへと旅立ってしまうのか?
いろんなことが一瞬のうちに駆けまわっていた。
「一緒にいるよ。もう心配をしたくないんだ。ずっと、そばにいるよ」
そう言葉にしようとして、僕は黙り込んだ。どれほど僕が反対したところで、あの強い目をした彼女が想いを変えるわけはない。彼女の生きる道を信頼して待つこと、遠くから見守ってやること、それも勇気なのだ。苦い決断をして、僕は一足先にひとりで帰ることになったのだ。
「これは、祈りだ。
彼女が沖縄に残ってひとりでやりたかったのは、あの日々を文字に記すことだったのか」
それは文字という記号を使った巡礼だった。今の僕にとって、これを読み、彼女の旅を追体験することが、それにあたる。
関空が遠くに見える公園のそばに車を停めて、海を隔てて彼女がその空港に降り立つ瞬間をこころ待ちにしながら、僕は彼女のファイルを読みつづけていた。
あの日、那覇空港で僕を見送る彼女は、いつもよりずっとずっと美しかった。あまりにも美しすぎて、僕はこれが最後なのではないかと不安にこころを締めつけられた。枯れる前の桜が「忘れないで」というようにその美を余すことなくみせつけるように。彼女もまた、僕の前には二度と姿を現さないつもりで、それほどまでに輝いているのだろうか。そんなくだらないことを考えてしまわせるほどに、その日の彼女は美しかった。けれど、それはつまらない妄想でしかない。彼女はあと少しで戻ってくる。僕のもとへ。
彼女への思いで胸がいっぱいになってしまった僕は、熱くなってしまったノートパソコンをシートに置いて、車を降りた。
「なぜ今これを送ってきたんだ?」という謎は、今もある。けれど、理由がわかっても、わからなくても、彼女が僕に送ってきた祈りのテキストを手元に置きながら、祈らずにいるということは、もう僕にはできない。
あの空のかなたに彼女はいて、今この瞬間も呼吸をするように世界を想っているのだろう。僕は彼女のいる空を仰いだ。青が目に染みるように輝き、目をつぶっていてもまばゆい光がまぶたを刺激する。
「今、この瞬間も、いつも、いつでも彼女が幸せでいられますように。
彼女の想いのすべてが叶いますように。すべての災いから彼女をお守りください」
僕は太陽に向かってそう祈った。
飛行機がひんぱんに離着陸する関西国際空港。離陸したばかりの機体が光を反射して青い空に映えている。
「そうか、関空か」
なんの気なしにつぶやいた自分の声に反応したのか、その時、僕の魂の中で強烈な不安が沸き起こって細胞のすべてが粟立った。
那覇発関西空港行きの飛行機。あの夢と全く同じシチュエーションだ。
「まさか・・・・・。
そんな」
彼女の言葉が僕の胸に響いた。
「その飛行機に乗っていたわたしは、機体とともに辺野古の基地に墜ちたの。
一瞬にして世界地図から消えた日本とともに、一瞬にして消え去ってしまったわ」