SSという言葉を借りて。
サイドストーリーという「場所」で私が何を考えるか、考えてきたか。
私的にはアメリカで主流であるFanFiction(Novel)と冠してきましたが、
その読者層に向けたBlogで綴った記事を転載します。
私はアニメを見るとき、基本的には「音楽」から入る事が多いです。
好きなアーティストは、梶浦由記さん、菅野よう子さん。
そして石川智晶さん等。
石川さんに関しては「アニメは観ていなかった、
観る事が出来なかったけれど、
そのメッセージに鷲掴みにされた」曲たちがあります。
それは『ぼくらの。』テーマ、『アインインストール』です。
「これは……。やられたよ、石川さん。アニソンに負けた、文学が」
そんな事を思ったのです。
『アンインストール』の底辺に流れるもの。
私観ですが、それは「虚無」とそこからの「再生」。
私は石川さんより少し年上の世代です。
その視点から考えると、石川さんは高校時代に「学校崩壊」的な
背景を潜ってこられたのかもしれない、と考えるのです。
私にとっての10代の終わり、高校卒業直後とは。
「振り返ると、卒業した場所が『壊れ始めて』いくのを目撃した」。
尾崎豊に代表される世界観と言えるでしょうか、それは。
荒廃・殺伐としていく後輩たちの場所、そしてその後の「無言と虚無」。
「三無主義」と呼ばれた私達世代は、そんなものを見取っていました。
私達は一言でいうならば、高校でサボタージュばかりしていた世代です。
普通はこう考えるでしょう。
「仕方がない」「自分にはどうする事もできない」。
本当にそれでいいのだろうか。
そんな思いで拙い考えを巡らせて、
就学前から殴り書きしていた言葉を他者に発する方法、
技術を求めたのが29歳の時。かなり遅い再出発でした。
虚無を否定せず、とことんそれと向き合って。
闇に差し込む光を顕現させる。
そんな僭越な事を求め、望みながら。
「自分は社会の中でカウントされない。物の数ではないのだ」。
それは今も思います。否定は出来ない。だからこそ。
「虚無」から「歩き始めたい、そうでなくてはならない」
「あなたたち」もそうでしょう、本質、心の深遠では。
思うのです。
石川智晶さんもきっとそう思っているのでは。
彼女の「音」は若い世代が聴くものだから。
上記が、私が『アンインストール』を耳にした時に
思ったことです。そして。
『アンインストール』と対をなす、アンチテーゼが『Little Bird』だとも。
私がSSという言葉、場所をお借りして僭越に申し上げたい言葉は。
「傷ついて、倒れ、存在意義を失ってなお立ち上がる」
あなたを私は「対岸」で待っている。
信頼と確信と、願いと祈りを込めて、そこで。
「そのまま、あなたのままでいいから恐れずに一歩を踏み出して」と。
けれど心配なのは、エンタティメント性が限りなく少ない拙文。
賭けなのかもしれない。全否定されるべきものなのだろう。
そう思いつつ、尚も。私は「諦めが悪い」のです。
きっと、ずっと、私の時がある限り。
つまりは文学でもSSでも、同じなのです、発する言葉は。
そんな奴を一文字でも拾い上げてくれる方がいるならば。
それこそが、私の至福です。
そう思って寄稿以外、自分の場所で二次創作小説を発表して10年。
記事を公開した時は現在系であったそれを、
今は顧みて過去形として思います。
拾い上げて下った方がいたならば、それこそが私の至福なのです、と。