note公式投稿コンテスト「#自分で選んでよかったこと」参加記事
選んでよかったこと。
あるいは、選ばぬ方がよかったのかもしれないが、他に選択の余地がなかった、と今振り返ると思うことがある。
プロフィール欄にもリンクを張っているが、
一介の素人が、何も分からぬまま短歌という世界、それも短歌評論という分野に足を踏み入れる。止めておけ、と当時の私の中で警告の声がしていた。
短歌で何故そんなに構える必要があるのか。答えは以下に記した。
恩師の呼びかけ・勧めに応じる形で二つの才能が集った。優れた両輪には車軸が必要だった。恩師がそれを私の中に見出したらしい、と知ったのは、同人誌が軌道して1年以上経った後のことだった。
これも(素人には)未知の世界である「歌会」。ある回で、代表のひとり、いつも進行を務める彼女が所用のため欠席、他に適任者がいない状況となり(もうひとりの代表には別の役割がある)、役者不足の私が進行役を務めることになった回があった。
進行役はするべきことが決まっている。会の流れを把握し、滞りがあれば、その流れをスムースにするだけ、他は陰に回るのが鉄則だ。それだけをなし、特段大きな問題もなく(小さな意見対立はあったが)、その日の歌会は終わった。
「そつがない進行だったね」会が終わったとき、その一言を私に掛けたのは同人会のオブザーバーを務められていた恩師だった。恐縮しながら「皆さん慣れているので何とか」と答えると、質問が続いた。
「春永さんがいつも司会なのかな?歌会では」
「え……?今回、Tさんが所用で欠席したので、代打で務めました。不慣れでお恥ずかしい次第ですが」
「いや、いいんだよ。口を出すべきタイミングをおさえていたので、物慣れているなと思ってね。よい進行でした、お疲れさま」
Tさんとは前段で挙げた同人誌の代表(のひとり)で、恩師の愛弟子である。そうした実力者ではない素人同然の自分ゆえ「お褒めに与る」のだと、自虐ではなく自覚していた。その上で、恩師の言葉は素直に嬉しく心強く感じられるものだった。
「TさんやIさん(出席していたもう一人の代表)は、こういう駆け引き的なものは場数を踏んでいないから…..あなたの方が向いていそうだ」
既出の記事 に綴ったような、少々特殊な公務の経験がある私を指して仰った言葉は正鵠を射ていた。その時に思ったことがある。
才能は私たちの冊子において車の両輪。その車軸が私なのだろう、そのためにここにいるのだ、と。
2024/07/26、9:56補記。恩師は私の如才なさのみを評価されていたのではない。「社会的視座が骨格にある。足に地をつけ、自分を見失わぬようにバランス感覚を磨き、その長所を伸ばすとよい」と仰っておられたことを附記したい。
その後、同人誌も役割を果たして解散、同人メンバーはそれぞれの道を歩き続けている。それぞれの言葉、表現を続けている。
私は車軸になれたのか。是非はわからない。分からないからこそ、今も書いている。先生。ネットに場を移してなお、あれから30年。諦めを知らず書いている無知蒙昧の身、せめて無知の知を噛み締めつつ忘れずに、知の無知へ辿り着くまで、私は。
愚直に書いて参ります。
総字数:1295字
こちらの企画に参加いたします。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
総字数:1185字
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