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「ハレ」の日。
文語体(である調)の文章です。平素と文体が異なる点、やや観念的である点を(活字・紙媒介・短詩系では元来そういう作風を持つのですが)ご容赦賜りたく。よろしければおつきあいくださいませ。本文は区切り線より下です。
日本人は写真好きである、というイメージを諸外国の人は持つのだと聞いたことがある。
それが「撮る」、それも風景写真等の撮影ならば、私の好みと合致する。
だが撮られる側や知人とのスナップに収まるのは、何とも居心地が悪い。歳を経て誤魔化しは効くようになったが、苦手意識は変わらずにある。
記念写真といえば、何かのパーティやお祝い事によく撮られるだろう。
加えてお祭りなどに。パーティは苦手だが(これも澄まし顔を取り繕うのに慣れてしまったが)、祭りの風情には心惹かれる。お囃子、横笛の音、太鼓の音、等々。
お祭りは宵宮がよい。
後宮、仕舞いはどこか寂しい。
ゆえに幼い頃より、私はお祭りの夜が少し怖かった。屋台が引き上げた後で道端に落ちた紙くずが風に舞うのが、まるで自分の心のようで。
「ハレ」の席が正にふさわしい人。それは華を持つ人だと思う。私は「ケ」の者で、「ハレ」の末席に座ることに慣れぬ者だ。取り繕った言葉を使えば‘市井の者'とでもなろうか。
華とは努力では決して身に付かぬ、天の配剤とも言えるもの。才能とも又違う。そして望んではならぬ、手を伸ばせば浚われてしまうものだと思うのだ。
ハレとそこに咲く華は少数だからこそ美しい。それを愛でる目を己に求めて何年になるだろうか。そのはじまりは、この拙い筆を取るずっと前から、きっと私がはじまった瞬間から、なのだろう。
夕暮れでも朝日でもなく昼間、普通の光の下を、今日も明日も私は歩いていく。そこに何かが見いだせなくても、それだけが私にできることだから価値などは問わずに、ただ愚直に生きていく。
華は夢の中に咲くものだと思いながら。
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