”偽善”とは

東日本大震災の時の話。

今でも道路が波打つ様子や、電気が復活してから初めて目にした津波の映像をはっきり思い出す。それでも時が経つにつれて、ぼんやりしてきた記憶もある。
私の生まれ故郷である東北。結局何もできずにいる。

とある映像で、
『偽善と言われてもいいです。募金して下さい。支援が必要なんです。』
というようなことをカメラの前で、炊き出ししながら訴えている方(たしか芸能人)をみて、なぜかその言葉がずっと心にあった。

大多数が称賛の拍手を送っても、それをネガティブにとらえる人、批判する人がどんな状況であっても一定数いる。

昨年2月に起こったトルコ地震。
私は、何かしなくてはと強く思った。それは大震災の時に助けてくれた国だし、トルコは行ってみたい国の一つだから。
どのようにお金が使われたかも分からないけど、募金したことで、大震災の時に無力だったという思いを少し軽くしたいだけだったかもしれない。

募金するのは、もちろん少しでも力になればと思うのだが、いつも大震災の時に何もできなかったという後ろめたい気持ちがついて回る。
これは素直な”善意”ではなく、自分の気持ちを軽くしたい"偽善"だろうか。素直な善意でなくても、何か後悔を打ち消すための”偽善”であっても、お金が支援につながるのであれば、良いって思いたい。

早く支援が行き届きますように。

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