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資料の海原から浮かび上がるヒストリカルロマンス――書き仕事の日々25
私は、史実からヒントをもらいながらフィクションを書くのが好きで、
二十数年そのようなものを書いてきました。
(最近はヒストリカルロマンスというらしい)
ヒントをもらえる歴史資料について、前回、図書館の本や映画やテレビ番組などについて書きました。
しかしやはり最近ではほとんどの資料をネットで集めています。
たとえば『女伯爵(コンテッサ)マティルダ~カノッサの愛しい人』
彼女が私のアンテナにいちばん最初に引っかかったのは、
二十数年前。ミケランジェロたちがモデルの『薫風のフィレンツェ』シリーズを書くために、図書館で借りた資料本をあれこれ読んでた時。
なんでも、かのミケランジェロが
「私はかの女伯爵マティルダの末裔(まつえい)だ」
と言ったとか言わないとか。
え?誰?どんな伝説的な女性なんだろう?と思って調べました。
調べた、と言っても、ニ十何年も前のことなので、自転車こいで図書館にとんでいって、分厚い西洋史人名辞典かなんかをぱらぱらしてちょちょっとメモしたんだと思う。(そうするしかなかった)
でも「カノッサの屈辱」について詳しく知らなかったことが多くて、印象には残りました。
それから十数年たったある日、
なぜかふと彼女のことを思い出し、ダイニングテーブルに座ったまま、ちょっとネットで検索をかけてみました。
そしたら、次から次におもしろそうな資料が湧いてきて、テーブルの上はたちまち大海原さながら。
となれば、果てなき海に、漕ぎ出すしかない。
例えば。
「マティルダ」は英語読みなので、イタリア語では「マティルデ」。この「マティルデ」をWikipediaで検索すると、ずら~っと7、8人マティルデさんが出てくるので、
「マティルデ・ディ・カノッサ - 中世のトスカーナ女伯。「カノッサの屈辱」事件に関係した」をクリックする。
すると、世界史の教科書よりはかなり詳しい感じで解説してある。プリントするとA4で一、二枚。有名なあの絵が貼ってある。
ふと、
wikiページの右上の方に、言語を選ぶところを見つけてしまう。
41の言語の中からおもしろがって「English(英語)」をクリックすると、
「Matilda of Tuscany」について英語で解説してある。日本語版よりもかなり詳しい。プリントすると、A4で七、八枚。画像なんかも増える。ふむふむふむ。
調子に乗って
「Italiano(イタリア語)」なんかクリックすると、
もちろん地元のヒロインだから、
「Matilde di Canossa」について、イタリア語で延々と解説してくれる。
英語版よりもさらに詳しそうだ!プリントすると10枚を超える。画像も多い!
となると、もちろんイタリア語版で「Matilde di Canossa」を読んでみたくなる。
「伊→日」翻訳をしてくれるページは意味不明な日本語にげらげら笑うだけで当時はまだまだ使えなかったから、
とりあえず「伊→英」に翻訳して、不思議な英文を必死に推理したり、
正面からイタリア語に挑んでみたり。(かつて何年もきいていたラジオイタリア語講座ありがとう)
そして同じことを、マティルダのお父さんやお母さん、義理のお父さん、
そしてもちろんグレゴリウス七世、ハインリヒ四世でもやってしまう。
するとすぐに、
「言語によってwikに書いてある内容がぜんぜん違う!」ことに気づく。
たとえばフレデリックが、マティルダの兄さんだったり弟だったりするのだ。これは、歴史家の先生方にとってはたいへんやっかいなことだろうけれど、フィクションを書きたい作家にとっては、都合のいい方を選べるわけだから、かなりうれしい。「日本語版wikiでは兄ですが、イタリア語Wikiでは弟だったんですよ〜」と言い訳できる。
そんなわけで、いろんな資料が集まるのは、たいへんありがたいしおもしろい。
それに困ったことに、
こうやっていろいろな資料を調べるの、私はそんなに嫌いじゃない。
ということで、しばらくは資料の海原を、ひたすらただようことになります。岸に引き返すなんてことはできない。
Wikipediaだけでこんなことになります。こんなのはほんの一例。
ただよいながら、とりあえず紙に書き落としていくのは生まれた年が書かれた人物相関図。
人物相関図をながめながら、あれこれ想像をめぐらせる。
このとき、特に大事なのは、身分。
身分差から生じる葛藤を思い切り書けるのは、歴史物ならでは。
パートナーとなる男性キャラと女性キャラ、どちらの身分を高くするのか。
その一点だけで、作品の色合いが(大雑把にではあるが)ほぼ決まる。
<女性の身分の方が上―男性が下>
私が書いたものなら『王女リーズ』のリーズ(上)とセシル(下)。
身分の低い男性キャラが、それまで如才なく使っていた敬語を思わず失いタメ語になってしまう場面が、一番の山場となります。
『マゼンタ』もそう。ラスト、伯爵夫人のエルザ(身分上)が宰相フランツ(下)のために、自らの高い身分を捨てる決意をかためたところで、お話が終わってしまうという…。
<男性の身分の方が上―女性下>
『マリア』は、けなげなヒロインが、高い身分の男性キャラを参らせるお話でした。
『ロクサリーヌ』の二人もこちらのパターンか。(ガッシナさんの身分が高かったというよりは、ロクサリーヌの身分が低かった)
身分差というものは、動かせない。
だからこそ、目の前にいるのに手が届かないもどかしさ、その切ない思いに、男も女も苦しむわけです。現代物では書けないドラマがそこにある。
ところがだ。
冒頭で紹介した『女伯爵マティルダ』だけは、この身分の男女差上下パターンが当てはまりませんでした。
話の後半、卑賤の生まれのイルが、思いがけない成り行きで教皇にまで上り詰めます。マティルダは女伯爵ではあっても一教徒に過ぎないから、教皇様にため口はきけなくなる。二人の身分は一気に逆転。
ならばハッピーエンドかというと、そうも簡単にはいきません。
つまり女伯爵マティルダは、まず、物語の前半で高貴な身分であるリーズやエルザのもどかしさや切なさをさんざん味わったあげく、
いい仲になったあとの後半では、身分が違うために身を引くロクサリーヌの苦しみも味わうはめに。
このことだけでも、普通のキャラの2倍、大変な目にあっているので、この本にはこれまで以上に「もういじめるのはいいかげんにしろ」みたいな感想が多かったです(笑)いや、だから決して私がいじめているのではなくて(汗)身分が、身分が…
ちなみに『女伯爵マティルダ』では、「身分差の逆転」と同時に「これまででいちばん大きな年齢差」にも挑戦することになりました。それまで記録を保持していたのは、多分マリアと選帝候。当時もよく言われたし、私だって思った。あれは一歩間違えば(間違えなくても)青少年保護育成条例違反。
マティルダたちは軽くそれを更新しました。この年齢差はありかな?と一瞬悩んだけど、いやいやありでしょう、大丈夫、と編集さんとも話してGOになりました。それにこの時代の資料みてると、ぞろぞろいるんだ。二十歳も三十歳も離れてるカップルが。(マティルダのお父さんとお母さんも三十歳くらい離れてた)
それに、ある程度年が離れていても、ロマンスは成り立つ。と私は思う。小さい頃見ていたテレビ番組の話題て盛り上がれないだけさ(←個人の感想です)
さてさて、
こうして、果ての見えない資料の海原をただよいながら、身分差をあれこれ妄想しつつ、いずこからともなくストーリーが浮かんでくるのを待つのは、考えてみれば、なかなか変態な作業。
だけど、私はここらへんの作業が一番楽しい。
というわけで、
膨大な資料という大海原から、ヒストリカルロマンス『マティルダ』のストーリーが浮かび上がるまでをご紹介しました。
仮にこれに名前をつけてみると、
①<史実先行型>パターン
資料の海原をただよいながら、ふと魅力的な人、直感的に「この人なら憑依できそう、いや、憑依したい」と思える人(この場合マティルダさん)に出会う。
→さらに深掘りして、その人の周囲を調べまくる→その人にまつわる物語を自分の中でふくらませながらスト-リーを整えていく。
お人形作りにたとえてみると、
すでに直立している骨組みだけが最初に目の前にあらわれるので、
その骨組みの上に自分好みに少しずつぺたぺたと粘土を足していきボディを整えながら、
さらに様子を見て洋服をあつらえ、どんな小道具を持たせるか、ヘアスタイルは?メイクは?この子の家族は?お友達は?
とあれこれ試しながら迷いながら完成させていく感じ。
(最初から完成まで、お人形さんは骨組みがあるのでずっと直立しているイメージ)
出会った『史実』=作ろうとしているお人形さんの骨組み。
『リーズ』や『マティルダ』、『薫風のフィレンツェ』シリーズ、『ベリータ』などなど。『ゲルマーニア伝奇』シリーズもほぼこちらになります。
ところが、
私がヒストリカルロマンスを書く時、
『史実先行型』パターンにはあてはまらない、
少しやっかいなパターンが、もうひとつありまして、
②<シーン先行型>パターン
とでも名付けましょうか。
『マリア』はこちらだし、『アレクサンドロス伝奇』シリーズや『ブロア物語』もこちらのパターン。
どんなふうにやっかいなのか。
先ほどのお人形さん作りに例えると、
だいたいのボディやメイク、ヘアスタイルからお洋服、小道具などはすでに完璧に仕上がってしまっているのに、肝心の骨組みだけがどこにもない!
なので、お人形さんはまるで生きているかのようにできあがっていても、
骨なしなので、ふにゃふにゃの寝たきり。立ち上がることもできない。
骨組みはどこ?骨組みは?
2018年に書いた『幸福の王子エドマンド』はまだ記憶に新しいので、
次回、その骨組みをさがす長い旅路のお話を書こうと思います。
最後まで記事を読んで下さりありがとうございます。チップはうれしいサプライズプレゼント😊また書くはげみになりますので、どうぞよろしくおねがいします。