#44 成長痛
あっという間に10月になりました。夏休みが終わり、毎週のゼミが始まり、今日は久しぶりに秋服を引っ張り出し、朝から修士論文の中間発表をしてきました。
長い夏休み(約2か月)は、よく遊び、よく学び、前半の記憶が怪しいくらいぎゅっと凝縮された日々でした。夏休みといっても普段とほとんど変わらなかったけど。
一方で、ここ1か月は、自分の想定以上に作業に時間がかかること、わかっているようで言葉にできないことなど…自分のポンコツ具合にがっかりする日々でもありました。夢の中でも研究していて自分でのギョッとしました。(自分は楽観的だと思っていたけれど、こういう場面では思った以上にネガティブだったんだといまさら気づいた…)
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前置きはこの辺にして、今日のタイトルの「成長痛」について。
中間発表を控え、10日くらい前からプレゼンの構成や梗概を先生に見てもらっていたのだけど、気づけばパワポは3バージョンもできていた(二度もひっくり返されてやり直した)。そのたびに、これもダメか、あれもダメかと随分いろいろな案を紙に描いては捨ての繰り返し。「よし、これならいいだろう!」と思って見せても新たな指摘を受け、またやり直し…
たかが中間発表と思っていたけれど、中々予定通りに進まず頭も回らず。今日の作業は終わり!帰る!、という選択肢も取れたけれど、そんなときいつも心の中でつぶやいていたのは、水野学さん本の言葉だ。
「完成したら世に出す」のではない。「締め切りが完成」である。
「時間内にできたところまでが自分の実力」だとしたら、この程度のクオリティのものしかできない自分が嫌で、もうちょっと粘ってやってみようと自分を奮い立たせることができた。
それともう一つ、いつも意識していたのは、「手を止めない」ということ。
頭の中だけで(空想のように)完璧なプレゼンを想像しようと思っても、何も出てこない。それはただ単にボーっとしているだけだったりするから、「あ、いまボーっとしてる!」って自分で気づいた瞬間に手を動かす。どうしてもできなかったら少し休憩をとるようにした。
こんな風に、研究を進める自分をマネジメントするもう一人の自分を隣に置いているつもりで毎日を過ごしていた。
それでも…
たくさん指摘をされる。それはいつも的確で、聞いていて耳も心も痛い。なぜ自分よりも情報量が少ないはずなのにこんなにクリアに論文の構造を組み立てられるのだろう、とすごく悔しかった。これまた顔に心の声が書かれていたせいか、「いいねぇ、トレーニング中って感じで」なんて言われてしまった。
ただ言われてみると、確かに今の自分ができることよりもう一段階難しいことを日々トレーニングしていて、この”痛さ”はこれから先形にしたいと思っているもっと複雑な研究を進めていくのための通過儀礼のようなものなのかもしれないと思った。
だから今感じている痛みは急激に身長が伸びた時の成長痛のようなものなのだろう。論文を書き終えるまでのあと3か月半も成長痛は続く予感はしているけれど、なんだかまた違うステージに行けそうで、もう一歩先のステージから世界を見てみたいと思った。
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