#87 ホームベースとしてのプロジェクト
中学生のころから茂木さんの本を読んでいる。最近はYouTubeをたまに聞くくらいなのだけど、更新回数が多くて全ては追えていない。
「この人ななぜこんなにネタがあるんだろう、すごいなぁ」
と思っていたのだけど、
昨日たまたま「声のブログ」でも発信していることを発見…!さっそく聞いてみたら、面白いことを言っていたのでここにメモしておこうと思う。
もぎけんの脳ラジオ
注意散漫も悪くない
あれもあらなきゃ、これもやらなきゃとなる時、気が散ってしまう時はプロジェクトをやるといい。
バラバラなご飯粒がおにぎりみたいにまとまる。プロジェクトを立ち上げさえすれば、案外いいものができる。
なぜって?
注意散漫に次から次へと見たり調べたりしたことがプロジェクトに戻ってきた時に有機的につながって、多様性が増すから。
(ここで言う”注意散漫”は、発散的好奇心とでもいうのだろうか。)
一つのことばかりずっとやっていられることも素晴らしい。しかし、たまにはノイズも入れないと、セレンディピティが起こらない。
プロジェクトはずっと集中していなくてもいい。”ホームベース”として、戻ってくる場所があることが大事。
自分のプロジェクトは秘密にしておくといい
茂木さんも、もう次のプロジェクトを始めているらしい(秘密だそう)。
プロジェクトを宣言してしまうと、言った時点で満足してしまうんだとか。
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茂木さんはいつも楽しく、否定せず、色んな考えを話してくれるのがいいなぁ。
個人プロジェクト
私も仕事とか、大学の課題とか、そういうのと関係ない個人プロジェクトを持っている(研究も一部なので全く大学関係ないといえない)。あえて宣言はしないが。
せっかく個人プロジェクトをもって取り組むなら、人生を豊かで、楽しくしてくれるものがいい。そう思って、生活(料理したり、ものを買ったりetc.)も研究も、好きなことも…日々の全てが(その程度は異なっても)結びつくようなプロジェクト、というか指針を考えた。
1年前くらいから何となく構想はあったけど、ちゃんと文章化したのは今年の3月。まだ2か月しか経っていないけれど、楽しい。興奮するような楽しさじゃなくて、じわじわとくる静かな楽しさ。色んなことがつながっていく楽しさがある。
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これと近い話を友人にしたら、
「あれもこれもやりたくなってしまわないの?」
と言われた。言われてみれば確かに…そういう感情も湧きそうなのに、やりたいことがさばききれなくてどうしよう、とはなっていない。
あれ、なんでだ?としばらく考えてみて思ったのは、
・やりたいことそれぞれが、個人プロジェクトの中で何の役割を果たすのか、すぐに振り分けられる
・やりたいことの地図みたいなのが頭の中にある(優先度が明確になる)
・自分の能力に期待しすぎない
みたいなことが少なからずできるようになったからなのかと思った(本当に少なからず)。
自分の能力に期待しすぎないというのは、5日かかって書いた文章をほんの数時間で添削して、コメント山盛りで返してくれる人がいるおかげかもしれない(自分の文章力のなさに打ちひしがれていた…)。
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好奇心は愛によって支えられている
近くに(といっても今はオンラインだけど)気にかけて面倒見てくれる人や、ふとした時にいい疑問を投げかけてくれる人がいてなんとありがたいことか。
そういえば、以前読んだ「子どもは40000回質問する」は、好奇心の本なのだけど、今回出てきた注意散漫とも関係ありそうな「発散的好奇心」についても書かれていた。そこで印象的だったのが、好奇心は愛によって支えられているというフレーズ。
あくまでも個人プロジェクトだけど、それが楽しくできるのは、たぶんこういう人が周りにいてくれるからなんだろう。だから前向きに進んでいこうと思えるんだろう。
自分も彼ら彼女らにとってそういう存在になれていたらいいなぁ。
さて、今日はこの辺で終わりにして、ホームベースに戻る!
それでは皆さん良い一日を!
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紹介した「もぎけんの脳ラジオ」はこちら↓
今日紹介した本
↑昨年6月の記事でも少しだけ紹介しています。