5月6日のこと
私が親元を離れて一人暮らしを始めたのは、5月6日の事。専門学校2年生の時だった。
専門学校に入学して1年目は、実家のある牛久から神奈川県の日吉というところまで毎日電車で往復約6時間をかけて通っていた。
牛久から常磐線で上野へ、上野から山手線で渋谷へ、渋谷から東横線で日吉へ。
が、そもそもがギリギリの力でこの学校に入学していた私は日々の課題はもちろんのこと、正直通学だけでいっぱいいっぱいで、授業について行くどころかあれよあれよと落ちこぼれたのだった。みんなが1ヶ月で仕上げてゆく課題曲を、私だけが前期いっぱいの半年間弾き続けていた。残念ながら強いメンタルも持ち合わせていなかった当時の私は、実技の授業の前は緊張とプレッシャーで胃が痛んでお昼ご飯も喉を通らなかった。実技の授業が終わる度に自分だけ出来ないことの多さにがっくりして落ち込んで、帰りの電車で次の授業を気に病む日々だった。
それでもその間、自分で出来ることは全部試してみたのだ。移動に疲れて家に帰ってからだとどうしても練習出来ない、でもなんとか追いつかなければという焦りは常にあって、練習室が開放されていた22時まで学校に残って牛久着が24時半を回る終電で帰り、翌朝6時前の電車に乗って8時半から開放される練習室に入る、なんていう方法も試したりした。でももう、どうにもだめだった。
体力も精神力も限界で、1年生が終わる直前に一人暮らしをさせて欲しいと両親に申し入れたのだ。
そこから4月の休日を使って部屋探し、めでたく5月6日に入居となったのだ。
引っ越し当日、日吉の東急内の無印とベスト電気で生活用品を揃え、布団だけ手持ちで持ち帰る。
新居で父と母と、空き段ボールをひっくり返したのを食卓にして食べたコンビニのお寿司は忘れられない。
両親も牛久へ帰りとうとう1人になって、本当に布団しかない部屋で初めて本当に1人で眠る。心細くて、でもハイでなかなか眠れないあの夜のなんとも言えない寂しさは、今も鮮明に思い出せる。
あれから月日は流れ、いい歳、なんてもんじゃないいい歳になった訳だけれど、5月6日になると今もあの日の事を懐かしく思い出すのだ。
2021.5.6