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私の推し芸術家vol.14(重森三玲)


重森三玲しげもりみれいを知ったのは、割と最近です。3年前に京都に行った時、九条で泊まったホテルで自転車を借りて東福寺の方丈庭園を観に行ったので、その時はもう知っていた事になります。あの時は広いお寺の入口が分からず自転車でグルグル回ったものです。知るきっかけになったのはこの本↓ フランス人に教えてもらったなんて、逆輸入みたいですが、とてもよくできた本で、代官山の旧朝倉家住宅もこれで教えてもらいました。

そしてまた京都に行ってきました。今回の目的は
1.重森三玲庭園美術館を観る。
2.エースホテル京都に泊まる。
3.奈良、唐招提寺「鑑真和上坐像・御影堂障壁画特別公開」に行く。
の三点でした。梅雨の晴れ間を縫って出発。まずは一日目から。

今回の京都はバスをほとんど使わずに、電車で移動することにしました。
何故なら観光シーズンの京都で渋滞に巻き込まれると予約時間に間に合わなくなる恐れがあるから。重森三玲庭園美術館は予約制なので新幹線で京都に昼頃着いてからJR奈良線に乗り換え、東福寺で京阪電車に乗り換えて出町柳で降りて歩き、2時の予約時間に余裕で到着しました。

初めて乗ったカラフルな京阪電車

この美術館は三玲の旧宅で元は江戸期の建物にお孫さんの三明さんが管理しながら住んでいらっしゃいます。こじんまりした建物なので一度に沢山入れるわけにはいかず一回15名までで、満たない場合は予約せずとも入れるそうです。この日は私ともう一人の女性、デンマークから来たという若い女性三人組、ご夫婦の計7人で解説付きの見学会に参加しました。小さいけど立派な枯山水庭園で三玲の世界を堪能できました。英語、日本語取り混ぜた三明さんの解説も分かり易く三玲の庭はモダンだけど、伝統はしっかりと守っているという事を強調しておられました。イサム・ノグチと交流があったので、石は四国の徳島県から運んできたそうで、茶室の照明もノグチデザインだそうです。伝統を守っていると言われても私から見ると、襖の市松模様といい、照明器具も斬新で従来の茶室とは違って見えます。庭園も然り、そこがまた魅力なんですが。

突然目の前に現れた庭についウァー!と感嘆の声を出してしまう
手前の敷石は江戸時代の創建当初のもの
茶室は昭和になってから三玲が新たに設計して立てさせた。襖の市松模様の銀はわざと輝きをなくしてくすませたそうです。ここでもついウァー!と言ってしまう。

略歴
1896年~1975年
昭和を代表する作庭家。
昭和8年に勅使河原蒼風らと生け花界の革新を唱え、「新興いけばな宣言」を発表した人物としても知られる。昭和24年前衛いけばなの創作研究グループを主催し、前衛いけばな誌「いけばな芸術」を創刊。重森邸を会場とした毎月一回の集まりには、中川幸夫などが参加していた。
他にも1950年代から重森邸を度々訪れたイサム・ノグチとの交友など、庭園を通しての交流は多岐に渡る。三玲作庭の庭は力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園。代表作は、京都の東福寺方丈庭園、光明院庭園、大徳寺瑞峯院庭園、松尾大社庭園など。
また、日本庭園、茶道、いけばなの研究者として重要な業績を残しており主な著作は、日本茶道史、日本庭園史図鑑、枯山水、日本庭園史大系、実測図・日本の名園などが知られる。

美術館でもらったチラシより抜粋

一時間程で見学会も終わり、まだ時間があったので、出町柳駅まで戻り、再び京阪電車に乗って鳥羽街道駅から急坂を上がって東福寺塔頭光明院へ。

京都旅行の達人にして、重森庭園の追っかけでもあるハト子さんの記事を読んでここに行ってみたいと思っていたのです。見出し写真はお借りしたものではなくて自分で撮ったものですが、他の写真は私のよりずっとよく撮れているのでこちらの記事をご覧になった方がいいかと…勿論許可は取ってあります。ハト子さん、ありがとう!鳥羽街道駅からの急坂は大したことなかったですよ。坂を上るとすぐだし…次回は是非このルートもお試しください。
拝観料は特になく竹筒に志を入れるだけで、これだけの規模のお庭を観れるとは‼頑張って行った甲斐があったというものです。
これで、まだ京都で観れていないのは大徳寺塔頭瑞峯院だいとくじたっちゅうずいほういん泉涌寺せんにゅうじだけとなったはず…
松尾大社もあったかー
続く