
私の推し画家 vol.4(岩佐 又兵衛)
辻 惟雄(つじ のぶお)の「奇想の系譜」を読むまでは、日本美術には疎かったです。若冲(じゃくちゅう)と聞いてもピンときませんでした。
2007年頃の事です。プライスコレクション展が2006年だから、その頃やっと関心を持ち始めました。
ちょうどその頃ネットサーフィンでtakさんのブログ「青い日記帳」に出会い(こちらは、今も現在進行形)そのご指南で京都に⁇年ぶりに行く羽目に。
若冲が晩年を過ごした石峯寺を見てから、相国寺承天閣美術館の若冲展で「動植綵絵30幅」を見てぶったまげ、江戸絵画の沼にずぶずぶと入り込むことに。
辻先生とtakさん、夢中になれる事を教えてくれてありがとう!
↓若冲自らが彫ると共に下絵を描いて職人にも彫らせたと言われる石峯寺の石像群

でも今回は若冲ではないのです。辻先生の押し画家の一人で「奇想の系譜」にも登場する岩佐 又兵衛です。まず、この方の数奇な運命に惹かれます。
岩佐 又兵衛は天正6年(1578)摂津伊丹城主として織田 信長の信任厚かった荒木 村重の妾腹の子として生まれた。だがその年の10月、父村重は主君信長に反逆を企てる。信長は苦戦の末、伊丹城を陥れたが、村重はその前に城を脱れていた。怒った信長は、城中に残された者全員の処刑を命じ村重の一族妻子30余人は、京の六条河原に引き出され、幼児にいたるまで首を刎ねられた。又兵衛の母も、この折非業の死を遂げたと思われるが、又兵衛は乳母の手で城から救出され、京都の本願寺教団のもとにかくまわれ、そこで成長したという。
又兵衛については、小笠原 京のこちらの本↑に詳しく書かれています。
私が好きなのは、名古屋市の徳川美術館にある「豊国祭礼図屛風」、慶長9年(1604年)秀吉の7周忌を記念して盛大に催された祭礼を描いたものです。
名古屋まで観に行くつもりでしたが、幸い一昨年都美術館でやった「奇想の系譜展」にお出ましになりました。焦がれているとこんなラッキーな事もありますね。↑タイトル画右隻 ↓左隻

細部が面白いのですが、単眼鏡がないとわかりませんよね。「奇想の系譜展」で話題になった「たけのこおじさん」↓他にも色々なキャラが登場して楽しいですよ。

もっと深く知りたい方は、黒田 日出男のこの本↑がお薦めです。
これで、プチ歴女、歴男になれること間違いなしです!
又兵衛というと「山中常盤物語絵巻」「浄瑠璃物語絵巻」「堀江物語絵巻」三部作が有名ですが、これも一昨年所蔵する熱海のMOA美術館で開かれた「岩佐 又兵衛展」に単眼鏡をぶら下げて行ってきました。
どれも保存が良く、色も鮮明で見応えがありました。私的には「浄瑠璃物語絵巻」が一番鮮やかでスキかな?
2016年に国宝に格上げされた「洛中洛外図屛風(舟木本)」(東京国立博物館)も外せません。
この屛風は永らく又兵衛作ではないと言われてきたのですが、それを撤回した経緯など話せば長くなりますので、今日のところはこの辺で切上げさせていただきます。