帰省客にまぎれて
今、この星にやさしいとは、人間の活動の速すぎる部分を見直すことではないか。(竹内敏喜「今、社会的な自己を放棄するということ」より)
今朝、外出支援の仕事に向かおうと家を出て歩いていたら、子連れのお父さんが八百屋の前で「里帰りですか」なんて声をかけられて話をしているのを見かけた。ああ、年末なんだな、と思う。その後、仕事中に東京駅を使う時間があったが、そこには帰省する人たちがうようよしていた。
休みたいとは思わないが(街には働いている人もたくさんいるし)、妙な気分にはなる。その人たちの中に、かつての自分を見るから、かもしれない。
年末年始に帰省しなくなってから、12年がたつ。会社勤めを止めようと決意した2009年の年末に、止めたのだ。まだ大阪で、ひとり暮らしをしていた頃だ。それまでは毎年、お盆とお正月のたびに欠かさず帰省していた。
結婚して横浜で暮らし始めて以降は、妻の実家は東京にあり、自分の実家は鹿児島にある、そして我が家は横浜だ。
そのことが、まあ、そうなったのだから当然といえば当然なのだが、よく考えてみると、何だか妙な感じがする。自分はどこの、誰なのか。ここにいるのは、どの自分なのだろう。
(つづく)