水くさい
「見出しぐらいよめるよ。見出しさえよめれば、天下大動乱だということ位はわかる。天下大動乱とわかっても、もう何ということはないね。人類の歴史はじまって以来、ずっと天下大動乱で、これから先もずっと天下大動乱にきまっている。人類が大動乱のもとだし、本質的に大動乱なしには生きておられないからな。だから、見出しだけでもいいのかも知らん。活字というやつは水くさいからね。写真などをつけるとますます水くさくなる。報道は口コミにかぎるよ。口コミの方がよほど滋味(じみ)ゆたかになる。」(富士正晴「坐っている」)
このところ、調子のいい日と、わるい日が、代わり番こにやってくる感じだ。今日は「いい日」の方だったが、そうなると、元気に「読む」方に入ってしまい、気分はいいのだが、何か大きく動き出している感じではない。厄介だ! しかし毎日が激動だと疲れるので、これでいい。できれば、1週間のうち5日か6日は「いい日」=平凡な日で、残りの1日か2日が「わるい日」=激動の日であってほしいのだけど、自分の場合、いまは、まあ、そう上手くはゆかないようだ。
仕事とは別の、手紙とか、メールが、少しずつ増えているので、それはよい傾向ではないか、と思っている。SNSで元気より、そっちが元気な方が、圧倒的に面白いし、やる気も出てくる。
いまは、「より多くの人に伝えたい」というのが、当たり前のように流布される一方で、「誰も信用できない」というのも、当たり前のように感染拡大している。
私は、「多くの人」よりも、「あなたを信じるよ」と伝えようとする人である。あまりできていないかもしれないが、そうしたいと思っている。
「あなた」には、自分自身も含まれているような気がする。
それで今朝、久しぶりに富士さんの本を開いてペラペラしていたら、小説(あるいはエッセイかもしれない、そんなの何でもええ)の中で、「活字というやつは水くさいからね」なんて言ってる。思わず、大笑い。写真などをつけるとますます水くさい、と続く。ははは。いまは水くさいのばっかりですよ、困りますなあ!
(つづく)
アフリカキカクの本も最近、ちっとは水くさいかもしれない。でも、まあちょっと見てください。