小さな運動体の上で
近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常そのものだけなのです。(スヴェトラーナ・アレクシエービッチ)
あけましておめでとうございます。2023年になりました。昨日が今日に、先週から今週に、なっただけですけど…と今年は例年以上に言ってみたくなる気分で年を越しました。どうしてかなあ?
大晦日の夜は、Twitterのスペースという音声機能を使ってフランス在住のアマヤドリさんが「忘年会のようなラジオ」という時間を持たれていて、私もはじめの方でお話させてもらいましたが、いろんな方が話をしているのを聞きながら酒を飲んでいたら、港の方から長い汽笛が聴こえてきて新年を迎えていました。
「ラジオ」と言っても誰でも声で飛び込んでゆけるSNSの「ラジオ」で、行き当たりばったりな感じも含めてものすごく面白かった。
その直前、大晦日の朝から昼にかけては、毎月末恒例で『水牛』の原稿(「『アフリカ』を続けて」)を書いていて──いま、元日の夕方ですが、その原稿はすでにアップされています。「水牛のように」1月号、「水牛だより」と共に、ぜひ読んでみてください。
その原稿を書きながら、この4年間のことが、少しずつ整理されてきた。『アフリカ』の、というより私の"転換期"は、パンデミックの始まる1年前の2019年から始まっていた。大きかったのは何だったのか、と考えていて「ウェブを通して人と会う」ということを中心に考え始めたのだ、ということに気づいた。それは、パンデミックによって、推し進められたのだが、パンデミックより前に始まってはいた。地面の上の拠点を持たず、どこにいてもかかわることができるような小さな運動体をつくろう、と。
12月に始めたばかりの「道草の家のWSマガジン」は、なるほど、そうやってできたのだな、とようやく気づいたのだった。
昨年はあまり"つくる"ことをせず、1年間、じっくり考えることができた。そうなると当然、目に見える成果のようなものはぐっと減るのだけど、自分の中はとても充実していた。日常は、豊かだった。
今年は「WSマガジン」を毎月動かしつつ、そこから生まれる流れに乗ってゆこう。
というわけで、今年もよろしく! お願いします。
(つづく)