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古い本を保存するよりも
せっかく森であたらしい生活をはじめるのなら、古い本を保存するよりも、自分たちの本をつくったほうがいい。(津野海太郎「森の印刷所」より)
そのことは、アフリカキカクで大切にしていることのひとつで、既存の何かを本にして売るのではなくて、「自分たちの本」をつくり、残してゆこう、ということです。
私は自分のことを、本を愛でる者ではないと思っています。本は、自分が生きてゆくのに必要なものだから、読みます、で、まだない本はつくらなければなりません。
だから私には、「本が好き」と言うことが出来ません。「本が好き」と言うには、ちょっと関係が深すぎるのかもしれません。ここはひとつ、憎いと言ってみたいところです。
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『小さなメディアの必要』には、「『アフリカ』を続けて」の連載で、まだ一度も触れたことがないようです。ちょっと不思議な気もします。「水牛」とも縁の深い本だから? かもしれませんけど、どうして、でしょうか。
遠くの町にすむ引退印刷屋が、印刷機を一台、かくしもっていた。この印刷機をつかって、少数派たちはまずなにをやったか。聖書の復刻である。極端なことをいえば、かれらはそこで、かれらがすむ反書物主義の社会を観察し、情報をあつめ、くらべ、分析して、ビラや新聞をだすことだってできたのだ。かれら自身の歴史をかくこともできた。しかし、かれらはチラリともそんなことは考えない。かれらは「行動中心の読者」家ではなく「所有中心の読書」家である。かれらは聖書を印刷する。もしもかれらが私たちの社会に生きているのだとしたら、「本についての本」のいい書き手になるだろう。
これはブラッドベリの「華氏四五一度」について書かれた室謙二さんの文章について書かれた、1978年の文章ですが、「本」というものをどのように捉えるのか、いま読んでも、大きな照明になっていると感じます。
(つづく)
ウェブマガジン「水牛」の毎月1日更新のコンテンツ「水牛のように」で、下窪俊哉が2021年7月から連載している「『アフリカ』を続けて」の(1)から(33)までをまとめた ① が1冊になりました! BASEショップを中心に少部数をじわ〜っと発売中。読んでみたい方からのご注文をお待ちしています。
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