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光の季節へ
オートバイの音は消えたが、滲みるような音があって、空から下ってくるようにも、頼りない感覚で足の下に感じている大地から、昇って来るようにも感じられた。彼はその音に閉じ込められているように思った。(小川国夫「重い疲れ」より)
毎年、春はどうにも心身の調子が悪い。何となく心身と書いてしまったが、じつは心が弱っているのだということを知っている。
私は物心つく頃からの生粋の吃音者で、しかし当時はキツオンと言われても何のことやらわからない、しかし幼年時代は派手に吃っても悩むことはあまりなかったような気がする。悩み始めるのは小学生になってからで、クラスメイトは自分のように吃っていない(らしい)ということに気づくのだ。吃ること自体に悩むのか、「他人と違う」ということに悩むのか、その両方なのか、わからない。
吃音は毎年、春が調子の悪い季節だったような気がする。だったと過去形で書いたが、もしかしたら、いまもそうかもしれない。でも最近はよくわからなくなってきた。それより心が弱って、鬱々とする方が厄介なので、それどころではないからかもしれない。逆から考えてみれば、心が弱るので吃音もコントロールが効かなくなるのかもしれない。ことばに詰まりすぎて、他人とのやりとりで先へ進めなくなることを恐れて、普段はコントロールしている。
しかし2009年にまだ大阪で会社勤めをしていた頃に突然、声が出しにくくなり、悩みに悩んだ末に近くでやっている(とその時ウェブの情報を通して知った)セルフヘルプグループの例会に飛び込んだ際、前に出て仕切っているような人の中にも遠慮なく、た、たたたたたた、たー、たいへんで、ででで、でしたねー、と言って笑っている人がいて、じつはかなりビックリした。
それ以前にも吃音のセルフヘルプグループにはかかわりを持っていたのだが、吃ることをそこまで肯定的に捉えてはいなかったような気がする。ある程度は、そうしようとしていたとは思うのだが。
その時、じつは自分は吃るから悩んでいるのではなくて、上手く吃れないから悩んでいるのかもしれないと思った。
そんなことを話したら、ある人から、そこまで思えるとしたら、下窪さんはかなりの熟練だ、というようなことを言われた。
そういったことは、『アフリカ』という自分の始めた雑誌で「吃る街」という連載小説を書きながら同時並行で起こっていた現実で、小説が現実に影響されたり、逆に現実が小説に影響されたりした。結果、大きく揺れ動いて、その頃は完成させることができなかった。
そのことはずっと心残りになっている。未完の作品というのには、しかし甘美な響きもある。永遠を見ているようで。
昨年からそれを仕上げようと思って、あれこれやっていたのだが、難しいところがあり、いま一度、スタート地点まで戻ってきた。
自分は一体何を書きたいのだ? ということを問うて。
本当のことを言うと、これから、どんなふうに働いて、どんなふうに生きてゆこう? ということで精一杯のはずなのだ。その上で、そうやって文学のことをやろうとしている。
よほどこだわっているね? と自分に問いかける(そうだね、でもこんなはずではなかったが…(しかしこうなってしまったのだから、仕方がないじゃないか(別にこうしようと思ってしたわけじゃない(わかってるよ、他人がどう言おうが放っておけ(気になるけどね
ひとり芝居は程々にしておこう。簡単に総括すると、こうだ。
30代になり、思いもよらないなりゆきがあり結婚して、その後、障害福祉の仕事にかかわるようになり、子供ができて父となり、といった過程で文学者としての自分は薄れてきていたが、さまざまな要因から自分の中に文学の火が消えることはなく、ずーっとひっそりと燃えていた、その火が、パンデミックを経たこの数年でまた大きくなってきた。
とはいえ、誰に何を注文されているわけでもない。自分の作品のことは、自分で面倒を見なきゃならない。大変だよねと思う一方で、そうこなくっちゃ! という気もする。
それでいったん『アフリカ』最新号に「道草指南/四章の季節」というのを書いたのだが、あれは、軽いものを書いてみたいと思って書いたもので、息抜きのようなものだ。自分という書き手の中に、大きな流れが幾つかあるとすると、あれはおそらく「その他」に当たる。
しかし人生は「その他」に満ち溢れているような気もするが…
とはいえ、大きな柱(流れ)があってこその「その他」なので、その大きなものを見定める必要があった。それでこの2〜3ヶ月、思い巡らせていた。なかなか見えてはこなかった。でも、毎日あれやこれやのメモをとりながら、待っていた。
ひとつは、吃音の世界を書くことだ、とわかっている(というより決めている)。しかしそれも白紙にして、何がやってくるか待っていた。その間にも、いろいろなことがあった。亡くなる人もいたし、生まれてくる人もいた。自分だっていつ死ぬかは、神のみぞ知る、なのだし、わからない。
そこで、ようやく、ことばの、本来の問題にぶち当たったような気がする。
別に何も書かなくていいのだ。無理するな。
そうなっても、それでも、こぼれ落ちてくるものは一体何なのか。
その響きに耳を傾けていたら、ようやく少し聴こえてきた。四半世紀、待たせたね、と思う。何のことはない、灯台下暗しで、すぐそばにある宝物に気づいていないだけだ。ああ、そうだった。
SNSでは、いろんな人と出会う。いろんな問題と向き合う人、いろんなものを書き、つくる創作者とも。
たとえば頻繁に飲食店へ出かけ飲み食いして、そのことを楽しそうに書いている人、中にはそれで本を何冊もつくっている人がいて自分からすれば羨ましい気がする。自分にはそんな余裕がないからだ。
(でも、あれが全て創作だとしたらどうだろう?)
しかし、そういう人が逆に私の暮らしぶりを垣間見て、そこにたとえ重苦しい台所事情があれ、羨ましいと思うところがあるかもしれない。
──何だかそんな気がするのだった。
ようは、ないものねだりなのだ。と同時に、自分の向き合ってこなかった問題を知るきっかけにもなる。
ないものねだりを重ねて、やはり自分に書けるものは限られていると思う。何でもは書けない(何でも書けてしまう人には、何でも書けてしまうがゆえの苦しみがありそうだ)
さて、書いている自分の中にある、幾つかの大きな流れを意識すると、ちょっと待てよ、それを全て書いてしまうまで自分の寿命は持つだろうかという気がしてくる。持たないかもしれない。それならもうすぐにでも向かおうと思う。道草というか「その他」もいいけれどサ。
そう考えるのはまだ容易い。実際に、どうしてゆこう? そこで、『アフリカ』のような〈場〉が頼りになってくるわけだ。
産みの苦しみがあった春を超えて、もうすぐ夏、色を消すほどの強い光の中で熱く燃えて、大いなる迷いの力を借りて、自分にとっては飛躍のある季節になるかもしれない。40代半ば、もう若くはないが、まだ年寄りというわけでもない。中途半端な時期とも言えるが、若者にも年寄りにもなれる自由がいまはあるとも言える。
創作の季節が、来ているのかもしれない。
(つづく)
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