それを表現できるのは
ぼく自身は表面だけで満足している。それどころか、ぼくには表面こそがずっと重要に見えるのだ。例えばぼくの手をとる子どもの手、リンゴのこうばしい香り、友人か愛人の抱擁、娘のふともものうぶ毛、岩や葉にあたる日ざし、耳に心地よい音の感触、樹皮、花崗岩や砂のこすれる感じ、澄んだ水が池へ落ちる音、風の肌ざわり、こういうもののほかになにがあるというのか? ほかになにが要るというのか?(エドワード・アビー「砂の楽園」より)
毎年、1月は3日か4日から働くというのが恒例になっていました。でも今年のお正月は帰省して過ごしたので、今日がようやく私の仕事初めになりました。道草(外出)支援の仕事を9日も連続で休んだのは、この仕事を始めて以来のことだったんじゃないかな。戻ってきて、この平凡な日常を坦々と続けられることが、幸せというものじゃないかと思った。そう感じられるようになったんだな。
『砂の楽園』という本を知ったのは先月で、「水牛」の12月号で越川道夫さんが「その小ささのままに」と題した文章の中で触れているのを読んだときでした。
私も、この本の作者と同様に、「表面」をどう書き、描くかが重要だと感じています。それを表現できるのは、私たちの感覚でしょう。砂漠を、どう感じ、どう捉えるのか…?
(つづく)
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