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「なぜ書くか/なにを書くか」〜道草の家の文章教室の今後

そらでは、まいにち甘くすっぱいような雲がゆっくりとながれていて、それがじつにうらやましそうに見えました。(宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」)

“書く”ことをめぐるワークショップをやろうと最初に考えたのは、たしか、10年前(2011年)の秋だった。
その年の春に急逝した井川拓さん(『アフリカ』vol.10に書いてもらった)と、前年の秋に、中央線の電車に揺られながら話してて、「下窪さんはこれから、受け取ってきたものをいろんな人に渡してゆく時だね」と言われた。でも、それがどういうことなのか? ということについては、よくわからなかった。
井川さんとの付き合いは、たったの8ヶ月で、没後1年経ったときには「ああ、もう死後の付き合いの方が長いのか」と気づいて呆然としたのだったが、死者との時間はどんどん濃いものになっていった。
”導かれた”と言っていい。
ワークショップをやってみたい、と考えても、そこに来てくれる人がいなければ始まらない。
最初に「やってみましょう」と言ってくれたのは、井川さんが生前に付き合いのあった吉祥寺美術学院で、そこで2012年の夏に初めて「作文教室」をやり、それから毎週、担当させてもらうようになった国語の授業が、どんどん”ワークショップ的”になっていった。イベントとしてのワークショップも、いろいろとやることになった。
インタビュー・ゲーム、夢のワークショップ、翻訳のワークショップ、などなど、いろんな試みをさせてもらった。その経験は、いまでもぼくの活動の底の方で静かに燃えて、貴重なエネルギー源になっていると言っていい。
2014年、市川のダーバーシティ工房でその話をしたら、中高生を相手にその”ことばのワークショップ”をうちでもやってください、と言われて、しばらくやらせてもらうことになったり、その直後、アフリカキカクから絵本『からすのチーズ』(しむらまさと・絵と文/荻野夕奈・色)を出した時の出版記念イベントも、かなり”ワークショップ色”の強いものだった。

その頃やっていたワークショップの多くは、10代、20代の若い人を相手にしたものだった。できれば、もっと幅広い年齢の人たちと一緒にやりたいと思うようになり、2018年2月からは、吉祥寺のアトリエの一角を借りて「オトナのための文章教室」を始めた。

その第1期は、3ヶ月限定で、毎週・金曜の夜、全12回というものだった。
毎週、お題を決めて──「私の好きな風景」とか「怖い」とか「最初の1文を決めてその続きを書く」とか「味覚と嗅覚を研ぎ澄ませ」とか「よっぱらいの口調で」とか「平凡なもの、ありふれたもの」とか「なぜ書くか」とか──それに沿って書いて、集まって読み合って、思い思いの話をする。

その最終回に、「これはぜひ続けてほしい」という声を数人からいただいたので、数週間休んだ後、第2期を始めたが、今度はお題を出さず、各自が書きたいものを見つけて、毎週少しずつでも書いてきてください、ということにした。
しかしそうすると、ちょっと難しいようだった。参加者はぐっと減り、(だいたい毎週やりますということになっていたのだが)毎回参加しているのは強者(?)の1人、2人ということになった。そのかわり、その人たちはとても充実した時期を過ごせたようではあった。自分にも(常に手探り状態ではあったが)手応えがあった。

しかし、毎週というのはあっという間で、次から次へとやってくる。1年たつ頃、自分の執筆にかんしては毎週書きなぐってきた原稿が未整理のまま山となっており、『アフリカ』は全く次の予定が立っておらず──というのはつまり自分自身が疲れていたせいもあるだろう、ここでちょっと休んで、雑誌づくりとか本づくりとか、”かたちにする”ことに向かおう、と考えた。それが2019年だった。その年はしかし、疲れてしまった自分のリハビリに費やしたようなものだった。よく休んだ。

休んでいたら、「文章教室、またやりません? 参加したいのですけど」という連絡が、ぽつりとあった。毎週というのはもう懲り懲りだけど、月1とかなら、まあいいかな、と思って再開したのが、2019年の夏の終わりから年末にかけてだった(それが第3期かな)。こんどは場所を決めず、人が集まればどこでもやりますということにした。その流れで、「自分の住んでいる横浜でもやろう」ということになったのだった。

昨年(2020年)から今年にかけては、月2回くらいのペースで、ずっとやってきた(第4期と言っていいだろう)。第1期のように、毎回、お題を決めてやることにした。その方が参加しやすいという人が多かったからだ。途中で、ゲストハウス彩(鎌倉)という場所とも出合い、とくに今年はその「彩」が拠点のようにもなっていた。何やら妙に盛り上がった回もあったけれど、できるだけ坦々とやってきたつもりだ。

最近はしかし自分の中では、行き詰まっていた。それも、ずっとひっかかっていたことに、あらためてひっかかった、という感じだった。

厄介だな、と思っているのは時折、参加者の中に見え隠れする「上手くなりたい」という願望だ。文章教室を始めた頃から、ずっと感じていた。

いや、みんなそのことに囚われているとは全く思っていなくて、これまで何十人と会ってきて、はっきりと聞かされたのはそのうち数人なのだが、気になるということは、そこには自分自身の課題というか問題意識も隠れているということにならないか。

問題は、なぜ、そう思うのか? だ。

自分には「上手く書こう」と考えることはない。心から「書きたい」と思う何事かと出合ったら、辛抱強く付き合って、何とかそれを原稿にして、読めるものにしようとする。上手くゆかないこともあるかもしれないが、そのことをあまり強くは意識していない。いまの自分には、そのようにしか書けないのだから。書けるか、書けないか、という心配はある。でも、いま書けなくても、後になって書けるようになるかもしれない(実際にそういうことはある)。

技術的な話はいくらでもできるけれど、それはあくまでも、「なにを書くか」の先にあるものではないか。
それに、書き方は、書く人の数だけあると考えたら、そのことを文章教室でとやかくやるものでもないような気がしてくる。それは、その人自身で見つけるものなのだから。

一方で、書くことが、書いている自分を救う、ということはあるような気がしている。「作品を書いて発表する」かどうかは置いておいて、書くことは自分と向き合うことにもなるだろうし、書くことで感じられたり、考えられたりすることもあるからだ。

しかし下手に「上手く書こう」としすぎることは、書くことでこそ感じられたり、考えられたりすることから、その人を逃すことにもなりそうだ。つまり「上手く逃げる」こともできるようになるのである。その人自身の課題から逃れ、他人のように「上手く」書き、それでたとえば、多くの人から認められたいと願うというのであれば、ぼくは全く推奨しない。

誰かを愛そうとするときに、「上手く愛したい」などと思うだろうか。奇跡でも何でも、出会うことができて心から嬉しい。いろんな時間や場を共にし、ときには喧嘩もし、たくさん話をして、できるだけ長く一緒にいたいと願う。

──問題は、心から「書きたい」と感じられる何事かと、どう出合うか、ではないか。

出合ってしまえば、あとは、時間をかけてでもぶつかってゆくというか、下手だろうが何だろうが、とにかく書こうとすればいい。

そこには、「なぜ書くか」のこたえがあるわけだ。

「これこれ、こういう理由で書きました」なんて、簡単には話せないことも多いだろう(その方が面白い)。おそらく、書いたものが応えてくれる。

昔、中学生の頃に、新田次郎の『孤高の人』という小説を読んだ。小説の文庫本を自分で買って読んだのは、それが最初だった。当時、300円とか400円の文庫本に、こんな世界が詰まっているのか! と感動して読み進めた。『孤高の人』がすっかり気に入った後、『栄光の岸壁』『銀嶺の人』という登山家たちを描いた三部作(らしい)も読んだのだが、作者の新田次郎さんはそれらの長編小説を書きながら「人はなぜ山に登るのか」と考えていたとあとがきか何かで書いていた。
小説の中に「なぜ山に登るのか」のこたえが「〜だからです」と書いてあるわけじゃない。それらの作品が、ある種の大きな問いになっているのだ、とぼくは思った。

だから、「なぜ書くか」のこたえがある、なんて書いたけれど、こたえがあるのではなくて、そういった大きな問いが、「なぜ書くか」の向こうに現れてくる。

自分の仕事の今後を考えると、ワークショップはしばらく休もうかな、いや、もう止めてしまおうか、などと考えたこともあったのですが、ちょっと待て、その「なぜ書くか」「なにを書くか」の話に取り組む前には止められないぞ、といまは思っていて。

とりあえず今月はオンライン(Zoom)のみですけど、ちょっとやってみようということにしました。

これまでのように、事前に書いたものをメールで送ってもらって、参加者にはメールで配っておいて、読んで、その日・その時間に画面の前に集合! ということにいたしましょう。

「なぜ書くか/なにを書くか」がテーマで、そのことについて思いつくままに書いてみるのでもいいし、ズバリ、いま書きたいことに少し取り組んでみる(あるいはすでに書いてみている中から送ってもらう)というのでもいいかもしれません。

今月はとりあえず19日(日)か25日(土)に、時間帯は応相談で、「参加したい!」とご連絡いただく方々と相談して決定しようと思います(メールでもDMでも何でもご連絡ください)。

今日は思い立って、長々と書いてしまいました。最後まで読んでくださった方へ、どうもありがとうございました。

(つづく)


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