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無駄話の必要
なかなか進まないことでも、会って話すだけでスイスイッと進み始めるようなことがある。
だから「会う」というのは大切なことなんだ。
今日もそういうことがあった。
会うと、用件だけじゃなくて無駄話(無駄とは何だ)を多少はすることになり、そこから見えてくることがいろいろあるのがいい。わくわくする。わくわくできることも、また自分を動かしてくれる。
(わくわくしすぎるのは疲れるから嫌だと感じることもあるが、わくわくするのに嫌だとはなんというへそまがり!?)
メールのやりとりで終わらすのは楽だが──と言いたいところだが、メールでも「会う」感じで話せたら、同じように進むはず、と思いつつ心を込めて力作のメールを書く日々を続けている。
人と会う時になされる無駄話(無駄ではないと思うが便宜上そう呼ぶ)から生まれてくるものがあると書いた。
ということは、その“力作メール”でも無駄話をすればよいのか。
そうなると、何が無駄で、何が無駄でないのか、と少し考えてしまうようなことになりそうだ。
しかし、考えて無駄なことをするだろうか。
無駄というのは、あることにかんしては無駄というだけで、べつのことには無駄ではないかもしれない。
何を書いているんだろう。アサッテの方向からものを考えるのが、自分は好きなのかもしれないなぁ。
(つづく)
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、4月26日。今日は、シンクロニシティの話。
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