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「予定は未定」の原則を思い出せ!?

日常を旅するとか何とか言ってる雑誌『アフリカ』、最新号の"セッション"、続けている。続けているのだが、順調に遅れている。

と、先ほど来たメールに返したら、「なんと心強いんだ!」だって。

今朝、妻子が乗ろうとしているバスが少し遅れて来て、運転手さんが「すみません。トイレに行きたくなって」と言っていたらしい。

いい話だ。トイレくらい行けよと思う。我慢できなくなったら限界を迎える前にトイレに行ける職場であってほしい。だいたい、トイレに行くのを阻止される地獄を味わっている運転手のバスに乗りたくない。

それで数分、遅れるくらい何だ。

でもそこでトイレに行けない運転手もたくさんいるんだろうねという話をしていた。

朝の満員電車を想像するだけで、この社会がいかに人間を「生きている動物」として認識していないか、よくわかる。ひとりひとりの人間は、機械の一部であり、部品である。故障したら交換すればいいだけのモノである。

しかし実際にはモノではないから、遠慮なくズレたらいいし、故障したと見せかけて反乱を起こせばいいのである。

そうだ。ぼくは反乱を起こしたいようである。ひとりで「おれは反乱する!」と叫んでも叫んだことにならない。

ひとりひとりが、「あっ、自分も生きた動物だったんだ!」と気づけるようなことがあれば、叫ばずとも叫んだことになる。

仕事をしたいと言う女性に対して、結婚の予定はあるか、子供を産む予定はあるか、と聞く会社は少なくないそうである。

男性のぼくはそんなことを聞かれたことはないが、平気でそういうことを言ってきた人(男だけじゃなかろう)はみんな一度路頭に迷って自分がどうやって生まれてきたか考えてみる方がいい。まだ(死に神になってないなら)遅くない。

誰もが赤ん坊として生まれてきた。生まれてきた瞬間から背広を着たオッサンとかヒールを履いたOLとかだった人はいない。でもそれを忘れている人は多いんじゃないかと感じている。

アホか、そんなわけない、と言われるかもしれない。そう言う人ほど危ない。

『アフリカ』の話からおおーきく逸れた。

遅れるには理由があるのである。理由は、いろいろだ。編集人のぼくにも全部はわかってない。言えるのは、焦ってもしょうがないぜ、ということである。

しかし、いついつまでに出すぞ! と決めて、その目標を目指して進めなければ、永遠に出来ないというのも事実である。

目標がハッキリしていたら、それを少しズラすなんて、お茶の子さいさいだ。

さて、その『アフリカ』、順調に遅れつつ、月末には入稿して、来月前半には出ます(アレ? それって先日書いていた予定通りじゃない? そうだっけ?)

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、6月18日。今日は、そら豆の話。

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