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自信と不安、蘇ってくる声
全員一致するということはたぶんないんだと思います。そこを目的にすることに意味はないし、そもそもアートはたぶんそれを目的としていない。むしろそれぞれに起こる作用というものを認め合うというか、シェアするというか、作品と自分との間に起こる作用のほうが大切なんだと思うんです。(森山純子さんのことば、『熱風』2021年12月号より)
今日は午前中に冷たい雨が降り始め、午後になって止んだが、その後もどんどん冷えてくる、サムイサムイとカタカナで言いながら家を出て、いつもの"「外出」という仕事"をしてきた。不穏なことの多い日で、落ち着かず、疲れたが、帰ってきて温まっていたら、今日も悪い日じゃなかったような気がする。
先週、「なぜ書くか/なにを書くか」で書いたこと、今月のオンライン版文章教室は、19日(日)と25日(土)、両日ともやることにして、準備中。何やら重たそうなことを書いたので(と自分では思っていたので)、参加したいという連絡をいただくと、いつも以上に嬉しい。
今月に入ってから、「朝のページ」では、これからのことについて、自分への問いかけが続いている。他の誰かを気にする前に、自分自身はこれから、どうしたいの? という声が大きくなってきたからだ。
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いまの状況のままで、ゆこうとはあまり思っていない。これまでも、そう思ったことは殆どないのだが。──最近、あらためて気づいたのだが、自分は何かに安住することがない。ある程度までやると、意識的に放り出してしまうか、逃げ出してしまうようなところがある。いまは、10年近く続けている「外出」の仕事や、15年続けている『アフリカ』があるから、そういうふうには(他人には)見えないかもしれないが…(そのふたつは、最初から自分に「安住」を求めなかったということは言えそうだ)
すると、かつて(とくに年上の人に)言われたことばが、声が、蘇ってくる。たとえば…
──あなたはもっともっと自分勝手にやっていいんだ。
そう言われた時には、ポカンとしてしまった。まだ20代半ばで、(『アフリカ』の前に)初めて雑誌をやって、苦労していた頃のこと。その時のことが、急に思い出されて、心の中がポッと温かくなる。
すごく自信があるようでいて、じつはとても不安なのだった。いまでは、それにも少しは慣れた。とはいえ、自信と不安がせめぎ合っているようなのは変わらない。自信があるのも(ないのも)、不安なのも、全て受け入れて、それはそれでいい、またこれから先、やってゆくために、できるだけのことをしよう。
(つづく)