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ワイエスの"ドキュメント"を観る①
数日前、「外出」という仕事の前に用事ひとつつくって、新宿に出たついでに四谷三丁目まで足をのばして愛住美術館という小さな美術館を訪ねた。
今回はここで、アンドリュー・ワイエスがオルソン姉弟と彼らの家を描いた水彩画や素描、スケッチなど習作の数々を久しぶりに観ることができた。
展示されているのは全て埼玉県にある丸沼芸術の森が所蔵しているコレクションで、以前ぼくが観たのは全国の巡回していた2001年の初め頃だったかな、住んでいた大阪から岐阜県立美術館まで出かけて行ったのだった。
その時は、初めてワイエスの絵を観るというのに、彼の代表作と言われる絵の習作ばかり並んでいる美術展を、やや地味な印象で受け止めていたのではないか。よくは覚えてないけれど。
いまの自分は逆で、習作こそ面白い。完成品(?)がない分、その面白さは際立っている。
今回、会場をぐるぐる回って観ているうちに、ワイエスはとくに鉛筆によるスケッチに何か大きな可能性を感じて描いている気までしてきた。
そこでは描いている人の感情があらわになっている。その時、彼の見た感情を素早く紙の上に置いて(いや、場合によっては"叩きつけて")いる。
未完成だからという以上に生々しい感じがするのは、そのせいかもしれない。たとえば「さらされた場所」や「クリスチーナの世界」の習作を並べて観ることは、絵を観ているというより、彼が見ているもののドキュメントを観ているようだ。
会場には、ところどころにワイエス自身のことばが紹介されていて、「さらされた場所」のコーナーでは、「絵として描きたいというよりも、いつも自分の財布に入れて眺めて満足できるようなものにしたかった。私にはこの家が消えてなくなるということがわかっているからだ」というふうなことが言われていた。
そのことばをきっかけにして、ちょっといろいろ思いつくままに書いてみよう。
その夜、家に帰ってから、思い返していたら、片岡義男『日本語の外へ』でワイエスの絵のことを書かれていたのを思い出して、押入れ(という名の本棚)から出してきた。
(明日につづく)
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