再びひとつに
今日ではこの手の「世界の終わり」とか「アポカリプス」とか「崩壊」といった表現を使うことに我々は慣れ切ってしまいましたが、そうしてなんでも災禍として語ることにかまけて、適応しようとする努力、変わろうとする努力について考えることを怠ってしまっているのではないか。そんな気がするのです。(パオロ・ジョルダーノ)
映画館通いを再開してから、数年がたちますが、ここでいう「映画館」というのは、町の映画館のことで、いわゆる"シネコン"を指していません。子供のころ(たとえばドラえもんやジブリの映画を観に)連れてゆかれた映画館は、"シネコン"のような感じではありませんでした。むしろ"ミニ・シアター"の方に感じとしては近かったような気がします。そんな話はともかく、今日が私にとっての2025年の映画初めになりました。ジャック & ベティで『キノ・ライカ』を観てきました。
フィンランドのカルッキラという田舎町に、映画監督アキ・カウリスマキと仲間たちが映画館"キノ・ライカ"をつくる様子を追ったドキュメンタリー、という体ですが、いろんな人たちが出てきて、殆ど何の説明もなく、いろんな話をするのをひたすら眺め、聴くという映画です。
だから、知らないことは、わからないんです。でも、映画のスクリーンには生身の人間がいて、その人が、動き、話している。それに私は付き合います。その時間を愉しみます。誰かの説明や分析を聞くために映画を観ているのではないのだし。
今日、たまたま出会った人について私はよく知らないけれど、でも、会って、短い時間であれ付き合えた、そんな"生"な歓びのある映画でした。
さて、冒頭に引いたのは、パオロ・ジョルダーノの最新インタビューより。私はフリーペーパーを読むのが(無料じゃなくても薄い冊子を読むのが)好きですが、今日見つけたのは『ダリタリア・リブリ』という"イタリアの本と読者を結ぶフリーペーパー"、そのトップ記事として、パオロ・ジョルダーノさんが出てきています。インタビュー記事のタイトルが、何ともいい感じです。
文学=ばらばらになったものを再びひとつにまとめる手段
それって、つまり編集で、創作っていうのはつまりそういうことかもしれませんね。未読なのですが、パオロ・ジョルダーノは最近、広島・長崎の被爆者に取材した小説を書いているそうです。そのうちに読んでみます。
(つづく)
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